あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

劣化する日本語?

言葉は環境によって、如何様にも育ち、進化もすれば退化(劣化)もします。
 
昨今はNHKさえもアヤシイ日本語を使うようになり、言葉のプロである筈のマスコミが外来語の氾濫をはじめとする、日本語の劣化を先導している感じです。
 
無学浅才、痴性派あなろぐの日本語もかなりやられていると思うものの、私でさえこりゃなかろうっ?!と思うことがしょっちゅうです。
例えば”セレブ”なんつう言い方、ただの成金には言わないって思うのですが(苦笑)
 
ただ、これに関し、国立国語研究所の”ことばQ&A”を見ていて、専門家の面白い見解を発見しました。
 
例えば”気の置けない”という日本語を、誤って真逆の意味で認識している人が多いのは、大きな問題と言えます。
間違った日本語は、相互理解の障壁となりますから正さねばならないと強く思います。
 
ただ、”正しい日本語”とよく言いますが、この正しさの物差しは変化するもので、いつまでも通用するものではないようです。
 
一方で、アヤシクても現に生きている日本語に、ある程度は寛容であって良いのかもと、この頃思うようになりました。
 
なんてったって、その方が、ストレス無く日常生活を送ることができますしぃ(苦笑)
 
昔のこと、今なら冗談ですが(苦笑)
 
 従業員:”ハンバーグになります。”
 客:”これが、ハンバーグじゃないのぉ?”
 従業員:”?えぇ、はい、こちらがご注文のハンバーグになります。”
 客:”もうなってるじゃない!何がハンバーグになるの?!”
 
未だに違和感は覚えるものの、当時でじは本気で怒っていました。
 
確かにオカシイです。
ただ、マニュアルで動く真面目なアルバイトさんを責めても仕方のないことです。
また、”敬語”の概念とは別に、より柔らかな表現を求めるサービスの現場で誕生したアヤシイ日本語は、歪んだサービス精神の現れとも言えるかも知れません。
ただ、歪んでいても無いよりいいっかぁっとも思います。
 
そう言えば、この”サービス”という外来語も、奉仕という言葉では言い尽くせない言葉として定着していますね。
 
どんどんエスカレートするカタカナの氾濫は困ります。
 
しかし、ひらがなに漢字とカタカナ、寛容な日本人ならではの日本語文化そのものは、卑屈になったり否定する必要は無いと考えます。
国際化は国際化、日本がアメリカ合衆国や英国になる必要は無く、ましてや中国になる必要はありません。
 
”マンション”はオカシイ。
しかし”持ち家集合住宅住まいです。”では、なかなか通じないうえに、下手すりゃメンドーな変人、自ら生き易さを遠ざける必要もないのかなと思っています。
 
また、一事が万事、とは言いますが、気になる(イヤな、オカシナ)言葉遣いに囚われすぎて全てを判断すれば、あまり愉快でないことが増えるだけです。
 
こだわりはあって良い、ただイヤなことに囚われないのが幸せに生きる秘訣♪
 
変える力があれば別ですが、少なくとも、変える取り組みをせずオカシイと言うだけではストレスを増やすだけです。
また、正しい日本語の追求は大事なことですが、言葉づかいで人間関係を排除するようなことがあれば、それは自らが言葉の持つ一番大切な役割を損なっていると言えるかも知れません。
 
世間は広い方がいい、田舎町で生きるおばちゃんはひとり思うのでした。
 
 
 
 
 
 
カタカナの言葉はあくまでカタカナの日本語たい。
日本語のマンションは”mansion"じゃなかて外国の人に知ってもらうとも、ひとつの国際化じゃなかろかぁて思うとばってんがねぇ。
(マンションば、mansionて短絡に英訳する方がおかしかつじゃなかとぉ?)
 
まぁ、どぎゃんでんよかこつばってん、熊本にゃ、天ぷら蕎麦になる天ぷら蕎麦がしっか美味しか店もあるもんねぇ(笑)
運んで来なはった笑い顔んむずらしか人のサービス精神ば酌んでたい、笑うて”いただきます。”て言う方が美味しゅう食べらるっ気のすっとばってんがぁ、どぎゃんだろかぁ?
 
 
 
 
 
 
 【余禄】(追記)
”賃貸マンション”と”アパート”の違い:
不動産屋さんが言うに、前者は鉄筋(骨)コンクリート造り、後者は木造モルタル(もしくは木造)だそうです。
ご参考までに♪