あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

大学病院はなぜ、混合診療について語らないのか

☆昨年書き捨てたボツ原稿ですが、
 捨てるにしのびなく、こちらに貼り付けさせていただきます☆


混合診療解禁」については、取り敢えず結論が先送りにされた。
しかし今、十分な議論の機会を得たとして、改めてこの問題を取り上げたい。

混合診療問題はメディアにおいては、一見、医療行政の専門家を始め多くの人々の議論がなされた印象を受ける。
しかしこの一連の議論の中で、一番大きな問題として捉えられるべき、大学病院という医療機関およびそこの医師からの意見はあまりに少なかった印象を受ける。
もちろん大学病院においても、その医事関係の事務担当者からは確かに同規模の異種医療機関の事務担当者よりも切実な不安を耳にすることが多かった。しかしこれらが外に対して語られることは無かった。

そもそも、混合診療解禁について議論が必要になったのは、保険診療と現実の医療水準の乖離が目に余るようになったことにある。
高度で先進的な医療を追求する大学病院においては特に、この乖離は大きいはずである。
なのに何故、大学病院の医師は混合診療について何も語らなかったのだろうか?
忙しすぎる現場の状況はさておき、2つの大きな理由が考えられる。

まず第一は、大学病院の医師は保険医療を知らなさすぎるのでは無いか。
現場の医師はしばしば、保険が通るとか通らないということを話題にする。それはある医療行為について、診療報酬請求の際、審査機関が査定を行うか否かということについてである。この場合、当該医療行為が部分的に査定対象となるか否かについて語っているのであって、レセプト全体が保険診療として認められるか否かということを意識している医師はほとんどいないのではないか?
少なくとも私が働いた国立大学附属病院で、診療行為の内容を理由に診療報酬請求書が丸ごと保険診療と認められなかったケースには出会うことはなかった。
また「研究医療」なる伝票で処理される医療行為等が存在するものの、費用構成比率からすれば、誤差として処理されてしまう数字と大して変わらない。大学病院は臨床上の研究に消費可能な研究費を名目上有していても、会計システムに乗せるだけの人的資源とソフト、何より社会的な認知と理解を持ち合わせていない。
しかし現実には大学病院の診療の現場で、研究の成果として、たくさんの高度で先進的な医療が生まれ、それによって多くの人々が医療水準の向上の恩恵に浴しているのが現実ではないのか?そしてこの土台に、混合診療の存在を否定できる者ないない。

大学病院の現場の医師に、新しい治療行為を行う際の保険請求上の取り扱いについて相談を受けたことがあるが、「混合診療」という言葉はその中堅医師の理解の域を超えた言葉という印象を受けた。10年以上前に何度か複数の医師に、「歯科の金歯とは違うんです。」という切り口で、説明を行った記憶がある。今、「混合診療」という言葉がメディアを賑わすものの、大学病院医師の保険診療に関する意識の向上や、啓蒙は全く進んではいない。
医師免許を交付された者は申請を行えば、簡単な指導を受け(大半は大講義室で、「療担規則」等の資料が配付され、指導医療官の講演と事務担当者の説明を聞く集団指導で、大半の研修医は殆ど眠っていた)、全員が保険医となる。
このため、もともと保険診療に対する意識が薄いことに加え、入院において包括請求が実施される以前、大方の大学病院で査定減率はせいぜい8%程度であったと思われ、これは他種同規模の医療機関と比べ、研究医療の介在が原因と思われる程の有意差は無く、またその全てが部分査定であり、事実上混合診療が黙認されてきた現実がある。実績が収入に反映されることの無いサラリーマン医師の集団である大学病院医師には、混合診療について語る必要が無かったのである。
また、意識の高い医師がそれについて語ることは、保険医療行政の混乱の原因となる懸念もあり、行政側も保険医に対する指導を、長年にわたって敢えてなおざりにしてきた懸念がある。(ただし、立ち入り検査等で、形式的な書面指導及びその事後処理はなされていた。)

またもうひとつの理由としては、もともと大学病院における医療のための経費の財源が、一般医療機関に比し非常に複雑であることが上げられる。
通常の医療機関において、患者負担と保健者負担を合わせた医療費が全ての医療収入となり財源となるが、大学病院においては、一般の保険診療に加え研究や教育等が加わり、医療費用の財源はどこも大変複雑に構成されている。
この土壌に加え、「保険では割に合わない患者」を紹介により受け入れる(受け入れなければならない)役割をも担っている。
しかしこのような状況下で、大方の大学病院において、少なくとも現場の医師はこの複雑な財源を整理し意識して医療行為を行っている訳ではない。また、保険以外の財源は、通常一部の医師にしか裁量権が無いため、通常の診療行為で一般の医師が選択できるものでもない。また、医療行為が現場医師の裁量により柔軟に選択されるものであり、もともと保険医療以外の研究医療の存在が認められている中、保険の制約に関わりなく必然的に、全ての医療の中で最良のものを選択することが常識として存在している。これは、万一患者側が医療行為を不満として医療訴訟を起こした場合、診療契約上大学病院と患者の間に保険診療契約が締結された上の診療(つまり、普通の診療)であったとしても、司法は選択しうる最高の医療水準を医師に求めてきたことも、少なからず影響しているものと思われる。

結局、「保険医療機関及び保険医療養担当規則(療担規則)」においては、保険診療上「研究」を一切排除しているものの、現実は臨床研究の柱は一般保険診療の上に成り立っているのが現実なのである。これは、少なくとも全国国立大学病院の患者の大半が、自賠責等一部を除けばその殆どが保険診療患者であることが物語っている。
たとえばある疾患の治療の際、よりきめ細かいデータ取りを行おうとする時、検査の項目や回数が増える部分が、査定減となるか、研究医療費として会計上の処理を行われるかの違いでしかないというのが現実である。
これと併せて、保険診療に研究が全く介在していないと言明できる大学病院は恐らく存在しないということも、現実では無かろうか。
 そもそも、「査定(減)」なるものは保険行政上正式に認知されているものではない。また、現行の医療水準の中で医療行為を行う際、使える公的な指針というものが現在存在していないことも、諸悪の根源であるように思われる。少なくとも大学病院の医師は、現在の最新の論文を自己の医療水準としようと努力しており、過去にそれが保たれなかったばかりに医療訴訟となり多額の賠償の責を負った事例は数知れない。保険診療の範囲では、助からない命が実在する現実に目を向けられるべきである。
 高血圧等一部の疾患について、療担規則で指針が定められているものの、数十年放置されているのが現実である。学会が治療指針を示し、それが一般社会で認知されたとしても、保険診療におけるスタンダードには決してなり得ないところに大きな問題が潜んでいる。
 包括請求や混合診療解禁というごまかしでは、現在の一般的な大学病院では何の解決も図られない。また、現状を認識している一握りの医師達にとっては、すでに保険診療の医療水準自体が、到底議論に耐える水準には無いことを感じ、諦めているようにも思われる。
 
 近年、医学部や大学病院等の研究費は産学官連携の推進等により、研究費は増加を続けているものの、医療費(経費)の中に占める研究医療費は殆ど増加していない。
 大学の研究費のひとつに厚生科研費補助金)があるが、本来臨床研究分野におけるこれらの報告を詳細に分析した場合、混合診療の存在は厚生労働省の中で明らかにすることができる。しかし医療水準の向上推進の責任を担う国、厚生労働省の予算は、大学病院の研究医療を厳密に切り分けた場合、その責任を果たすに足る規模を持たないため、果てしないグレーゾーンの中で大学病院の混合診療は続けられる。

そもそも混合診療の問題の本質部分は、医療水準に関わる問題であり、代替材料でもその機能を確保できる歯科の金歯とは、本質的に異なる。
私たち医療消費者としては、よりよき医療を手に入れるためには、混合診療について語る以前に保険診療水準の底上げ、現行医療水準との同化を図るよう議論を進めるべきと考える。