あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

人工呼吸器

- 医師による人工呼吸器取り外しを巡る問題から -

あれからもう、20年が経とうとしている。
「医の倫理」「尊厳死」「インフォームドコンセント」が今程語られない時代の話しである。

ALSという神経難病で逝った義母を私達家族は看取った。
予測される死期まで、まだ当分時間があった頃、
義母の主治医は、十分な時間をかけて説明を行い、
私達家族に、人工呼吸器装着を行うか否かの選択という課題を与えた。

逝く間際、苦しみあえぐ義母の姿は選択の非情さを思い知らせ、私達家族はひととき後悔をした。
しかし、私達家族はそれでも人工呼吸器を装着しない選択を正しかったと信じている。
お茶目なお喋り好きの義母が言葉を無くして久しかった。
PCもない時代、テレビは観たがらない義母。
「尊厳」を語る以前に、QOLを思い、装着こそが残酷だと思えた。

人工呼吸器は装着したからには、容易に外すことは出来ない。
また、延命だけが人を救う道と、どれだけの人が言い切れるのか。

人工呼吸器の装着という選択が、外す選択と同じように重い選択と言うことを、
果たしてどれ程の人が認識しているのだろう。

昔、主治医の説明、問題提起を受けてはじめてはからずも私達はその選択の重さに思い至った。

医療の進歩により、延命が簡単な時代を迎えて、安易な延命に走る現実がありはしないか?
医療者は、人工呼吸器の装着という選択の重さを患者とその家族に伝えて欲しい。

人の生命を救う使命を担う覚悟をし、医の道を志した人が、人工呼吸器を外す。
その行為には何のメリットも無く、リスクと精神的負担は計り知れないことと察する。
なのに何故、その行為が重ねられたのか?

何をもって天寿とするのか?
そんな議論を待てない程速く、医学は進歩していく。
尊厳死、人工呼吸器を外す行為について語られる時、
同様に、人工呼吸器の装着という行為について語り、議論を進めてもらいたい。

私は、人工呼吸器の装着は、外すのと同様に重い選択であると考えている。





遠い昔に思いをはせ、今、主治医への感謝の気持ちを新たにする次第。



※ 今回の一連の報道とは、診療領域も異なり、状況は大きく異なると思う。
  ただ、計画的に行われる手術、術後の救命措置の延長線上で延命措置にすり替わることがある。
  是非、インフォームドコンセントに盛り込み、患者やその家族に考える機会を与えて欲しい。