あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

種の値段の未来予測

一昨日、地元大学が主催する公開シンポジウムにでじと参加した。
 ・モバイル、IT、デジタル家電
 ・最新広告事情。
 ・科学がコミュニケーションに果たす役割。
第一線の方々のお話はどれも面白かった。
どれも印象深い内容があったが、その中から、社会への問題提起をひとつ書いておいたい。

昨年日経新聞で紹介された新しい科学技術について、識者が価値のランク付けを行っていた。
ベスト20の大半はライフサイエンス分野で、それも今にも臨床応用が可能なばかり。
確かに、現時点で金銭的価値を基準に評価をしたとすれば納得できる結果である。

ただ、現在の科学技術は未来の科学技術に通じる。
研究費は、要する費用の積算があり、期待される成果に見合う金額が投入される。
前述は最終成果、謂わば果実の値段で価値を評価した結果だ。

ならば、ここで、種の値段について考えてみたい。

名も無き優秀な研究者が種を作ったとして、
それが、もしかしたら数十年後素晴らしい果実を実らせるには、
良き土壌にそれを植え、良い環境で人的資源を投じ、水や肥料を与える必要がある。
数十年後の果実の値段を未来予測し、投資がなされなければならない。
種には、将来予測される価値はあっても値段をつけるのは難しい。
しかし、その価値が認知されなければ、必要な投資はなされない。

今、大学は産業界からの研究費獲得や知財の創出と確保にやっきになっている。
産業界からの研究資金は、性質上、目先の利益が期待できるものにしか投入されない。
長い目で、民の利益のために研究資金を投じる使命を国は持っている。
しかし、国の科学技術政策も、従前と比較すると知財を意識してか、
結実しつつあるものへの投入比率が高くなっている印象を受ける。
20年、50年、100年。。。未来の果実のために、種の価値を認めて欲しい。

そのために、少し発想の転換が必要であるように思う。
科学技術の進歩は、研究者の知的好奇心によって支えられた来た。
研究者は知財という鼻先の人参を目指して走る馬ではない。
ただ、研究費が公的資金である以上、知的好奇心の対象については吟味される必要がある。
いっそのこと、科学研究費補助金の申請制度を見直し、
命題を広く公募してみてはどうか。
研究者は社会的ニーズを意識しないことは無いが、現場の声は研究の現場にはなかなか届かない。
また社会的ニーズは単に必要に迫られるものに限らず、一般人の知的好奇心を満たすものもあってよい。
それらは、子供達の科学への興味を刺激する。

命題の公募
  ↓
専門家による目標設定と研究費の積算
  ↓
興味を持つ研究者が手を挙げ、審査を受け、公的資金で研究を行い成果を上げる

専門性のマッチングを見極めるのは、非常に高度な知識が必要であるが、
研究者自身にはそれが出来る。

未来予測の視点を持った、公的研究費充実が今こそ望まれる。