あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

靖国問題と言葉の壁

 「漢字」はデリケートな日本語の一部で、日本人の感性で微妙なニュアンスを使い分けをすることがあります。
 また以前、中国人留学生との会話で、「なまじ意味が分かるような気がするからマズイ。」という共通の理解を得たことがありました。つまり、お互い共通の文字を使っているものの、その意味は共通でないことが多く、「漢字」は異なる文化の中でそれぞれの異なる言語の要素なのです。でも、同じ形であるがゆえ、時々「ワカッタツモリ」になって誤解が生じていることが多いと言うことです。

 最近、小泉首相靖国参拝について、方々で議論がなされメディアを賑わせています。
 思うに、「祀る」という言葉、日本人の感覚を、中国の方はどのように理解しておられるのでしょうか?「靖国」が議論される中、日本人の宗教観、文化について語られることがあまりに少ないのは残念なことです。この言葉が、今とても気になります。

 もともと、「靖国」は日本の多神教、神仏混合と言う独特の宗教観の中で、日本の文化の一部とも言えますが、中国がこだわる「A級戦犯を祀る」という言葉が異質の文化で理解されているとは思いがたく、誤解が生じているのではないかという気がしています。
 私は無宗教ですが、人知の及ばぬものに対する畏怖の念を持つ平凡な日本人です。子供のために七五三のお宮参りをして健やかな成長を祈りましたが、仏式で祖父母のお供養も致します。「靖国」はそのような日本文化の一部ではないでしょうか。「お参り」で手を合わせるという行為は、ある対象を崇拝し手を合わせる宗教とは、素地が異なるように思います。
 私は「靖国」にこだわりはありませんが、「日本の文化」を大切にしています。そして、自国の文化を傷つけることで成り立つ友好などあり得ないと思っています。
 お互いの文化を認め尊重しあうという、外交の基本は守られるべきです。また、もし基本的な理解に誤解がある可能性があるのであれば、きちんと検証し、必要であれば理解を得るための工夫をすることが必要です。お互い、自分の主張にこだわる前に、今一度現状の分析がなされてもよいように思います。

 「こだわり」はともかく、我慢をすれば将来に禍根を残します。
 日中問題については、知識人による「言葉」の検証がなされてもよいのではないでしょうか。