あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

保育料負担に税制上の優遇措置を

「保育料負担に税制上の優遇措置を」
  ーみんなに子育てのよろこびを伝えるためにー

 我が国では近年少子化が急速に進み、社会保障制度の将来に暗い影を投げかけている。
 女が子供を産み育てる数を増やすのが、社会の緊急課題だ。
 また、男女共同参画が推進される中、女性の有職率は増加している。
 その中で、育児休業や保育制度の充実等、数々の法的整備が進みつつある。それらは全て、20年ほど前に望んでいたものの、私の子育ての時代には叶わなかった夢の数々である。
 しかし、その中で私が強く願い周囲の共感を得ていたと思われる事柄で、今も話題さへ上らないことがある。それは、保育料を所得から控除する税制上の優遇措置である。保育期間中の税金を安くし、保育料も所得に応じ設定されるため、少し安くなるという提案である。
 定額で一様に支給される育児支援の手当に比べ、特に女性の給与所得者にとって、社会の共感と当事者の実感が得やすく、非常に効果のある経済的優遇措置になるものと考える。
 また、少子化対策が緊急課題である今、その財源については、例えば30歳以上の独身者及び子供を設けず不妊治療を受けない有職夫婦の税金を高くすることで得たものを当てれば一石二鳥と考える。

 結婚や子供を持つことは個人の権利であり自由であるという考えも浸透しており、反発も大きいと考えられる。
 しかし、人間が生物であり、種の保存が使命であるという自然の摂理に帰り、義務が権利に先立つものであることに目を向けなければならない時代が到来したのではなかろうか。何より、独身貴族やDINKSの老後を支えるのは、それ以外の人が産む子供達である。子供は社会全体の財産なのだ。

 フルタイムで働く女性の給与水準は一様に高いと思われがちである。このため、身体的負担に対する支援に比べ、経済的支援に目を向けられることが少ない。しかし、多くの女性が経済的理由から働かざるを得ない状況にあるがゆえ、職業生活を続けているという現実を認識していただきたい。
 子供を産むに適した年齢層は、平均給与水準よりはるかに低い給与水準で生活している。有職女性が子供を産めない本音の多くに、経済的理由があるという事実を理解していただきたい。
 多くの農家や自営業者などと違い、フルタイムの職場は時間の融通が全く利かない。子育ての多忙な期間、経済的ロスが大きい暮らしの形態を強いられるものの、税制上必要経費等について一切配慮はされていない。3歳未満児2名分の保育料は、私の手取り給与の3分の1強を占めていた。決して裕福ではない給与所得者の保育料に割高感を、給与所得者本人のみならず、周囲の自営の方々も認めていた記憶がある。

 20年程前、少子化に社会が危機感を覚えていなかった時期でさへ、この考えには周囲の共感を得ている実感があった。職業生活を維持するために不可欠である保育料が、必要経費として納税の際控除されないのは何故か?私は今も理解できないし、理不尽と感じている。
 当時是非機会を見つけ、このことを述べたいと考えていた。しかし、仕事と家事、子育てに追われている時期、その窮状を伝える余裕が無かったのが現実である。そして、喉元過ぎれば熱さを忘れる、である。
 子供が育ち保育料から解放される頃、年齢相応に給与が上がり、子供が小学生になれば経済的窮地も一段落する。また「教育」という別の問題が生まれ、保育料は自分自身の問題では無くなる。このため、本当に深刻な問題であり乍ら、誰も主張することなく、改善が図られていないのではなかろうか。

 先日私の職場で、「次世代育成支援計画」が発表された。それは、20年前描いた私の夢にとても近いものであった。それを読みながら、当時自分自身が社会に一番求めていたことを思い出してみた。
 今、行政が男女共同参画のために女性の声を求めることがあるものの、本当に耳を傾けるべき人々の声は拾われていないようでもどかしい。また、声が届かないのは、声を聞く行政の責任ばかりではなく、声を届けるべき人の責任であると気づいた。私自身もその一人である。
 少子化対策には、社会全体が取り組むべきである。残念乍ら、私は40代後半となり、今、もう一人産むことで少子化対策に貢献するのはキビシイ。ただ、子供を授かり育て、職業生活を続けている経験を活かし、若いお母さんの声を代弁することは今の私にも出来る。私はそれを与えられた使命と認識している。今、少子化が危機的に進む状況で、夫婦で子供を二人もうけたからと言って、責任を果たしたつもりになっていては、状況は改善しない。

 天災に凶悪事件、不安な時代は安心して子供を産める時代ではないと嘆く人がたくさんいる。
 しかし近代日本はそれなりにいつも不安の種を抱えていたように思う。安心して子供を産める時代など本当はなかったのではないか。ただ、子供を産まない理由を社会のせいにしなかっただけである。
 
 子供はいつの時代にも人々の希望となる。
 大人が子供化し親の資格が無い人が増えたとか、おかしい子供が増えていると、他人事のように語るのはもう止めにしたい。
 私は最低の母親と自他共に認めているものの、二人の子供が健康に成長したことにただ心から感謝をしている。しょっちゅうとんでもないことをしでかすびっくり箱のような子供達だが、二人が与えてくれた喜びは計り知れない。子供達には申し訳ないが、昔こうすればよかったというたくさんの思いの分、私自身が成長できたのだと感じている。資格など無くとも親になり、子供に育てられ人は大人になれるのかもしれない。子供に夢や希望を与えてもらわなかった親はいない。
 このことを、できるだけ多くの人に伝えたい。

 私は高卒で28年間、ただの事務職員として働き続け、日本の有職女性の典型のような人生を送ってきた。その平凡な母親の声を伝えることこそ今大切なことと考える。
 今後あらゆる機会を利用し、保育料負担に対する税制上の優遇措置が講じられるよう働きかけながら、子育てのよろこびを伝えることで私なりの社会貢献をしたい。   (鈴木藍子)