あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

歴史が生まれる瞬間

でじが通算十年以上籍を置いているボランティアクラブが先日周年行事を終えました。

このクラブでは、一人分の会費で配偶者も会員とほぼ同様の活動ができるため、
でじひとりの楽しみにするのはもったいないと、
私も月2回の例会にも出席し活動をしています。

周年行事では月々発行される会報に加え、記念会報が配布されました。
この中で年表を作る際、主な出来事に関する記録を集めることが大切な仕事ですが、
毎月の会報では、出来事の背景などはあまり掲載されておらず、
各の整理された記録が思ったより少ないことに気づきました。
ここで威力を発揮したのは通称「Uメモ」。
U先生はクラブの設立当時からのメンバーのひとりで、
私の年齢よりはるかに長いクラブの歴史を知る方です。
U先生は、クラブ事業毎にまめに写真を撮られ、メモを作っておられます。
記念会報の発行は、Uメモが活字となり「歴史」に姿を変えた瞬間でした。

このことで感じたのは、歴史は、記録した人の思いに染められたものだということです。
記録したいという意志にもとづいて作成され保存される訳ですから、
記録事項の選択等、記録者の思いが随所に散りばめられる訳です。

今回、U先生はクラブのシンボル的な存在の方ですから、
結果的にとてもよい歴史が綴られた感じがしています。
しかし、「歴史」は全てが、それを記録したい人達に染められている訳です。
少なくとも人に語ったり、何か行動を起こす際は、歴史を綴った背景にも思いを寄せ、
時には色々な観点から綴られた同じ事象に関する他の歴史も知る必要があると思うのです。

日本の過去の歴史に関わる隣国からの非難に対し、
最近の経済関係などに問題をすり替え相手を非難するのではなく、
共有をすることは叶わない「歴史」だからこそ、相手の「歴史」に思いをはせ、
相手を理解すること、それが今の私達に求めらることのように感じています。

たとえ相対する状況であっても、お互いを認め合うことが大切です。