千の風にはならないで
春のお彼岸の時分には、実家の墓所につづく道の脇は、紅い椿が美しい。
幼い頃、ぼんやりこの椿を眺め、側溝に落ちたことを、墓参の度に思い出す。
たんこぶ作って泥だらけ、泣くより先に、祖母の笑顔につられて笑った。
草を刈り、いくつもの墓石を綺麗にして、昔ながらの墓所のお掃除は結構大変な作業だった。
でも、祖父母とともに、年に数度ハイキングがてらの墓参は楽しみでもあった。
その祖父母も、会ったことのないご先祖さま達とともに、今はそこに眠る。
でじは、お墓にこだわらいということにこだわる人だ。
気持ちがあれば、お墓なんてどうでもいいという。
なので、私ひとりのわがままで、祖母が亡くなり、実家の墓を新しくする時、マスオさんをさせてもらった。
どうしてもこだわることのできない私が、これでどれだけ安心できたことか。。。
どんな時も、ここに来れば、いつも心が少し静かになる。
墓参のあと、見渡せば、山桜の花吹雪。
足下には、スミレにタンポポ、ホトケノザ。
愛する町は、春霞にかすむ。
私は、千の風になどならないよって、ふと思った。
人は、ひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。
幼い頃、ぼんやりこの椿を眺め、側溝に落ちたことを、墓参の度に思い出す。
たんこぶ作って泥だらけ、泣くより先に、祖母の笑顔につられて笑った。
草を刈り、いくつもの墓石を綺麗にして、昔ながらの墓所のお掃除は結構大変な作業だった。
でも、祖父母とともに、年に数度ハイキングがてらの墓参は楽しみでもあった。
その祖父母も、会ったことのないご先祖さま達とともに、今はそこに眠る。
でじは、お墓にこだわらいということにこだわる人だ。
気持ちがあれば、お墓なんてどうでもいいという。
なので、私ひとりのわがままで、祖母が亡くなり、実家の墓を新しくする時、マスオさんをさせてもらった。
どうしてもこだわることのできない私が、これでどれだけ安心できたことか。。。
どんな時も、ここに来れば、いつも心が少し静かになる。
墓参のあと、見渡せば、山桜の花吹雪。
足下には、スミレにタンポポ、ホトケノザ。
愛する町は、春霞にかすむ。
私は、千の風になどならないよって、ふと思った。
人は、ひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。
それでいい。
七日七日のお供養がだんだん日にちがあいて、残された人の気持ちが整理されていく。
あとは、今ある生に感謝して、亡き人を偲ぶ、折々の墓参。
その折々がよいと、私は思う。
のこされた者たちに、つくづくやさしくできているって思う。
心の中にいつも、いつまでも。
だから、私の大切な人達、その誰にも、千の風には、なって欲しくないって思った。
日曜日は、前日の春の嵐が嘘のように穏やかで、いいお日和でした。
老いた父母と、でじ、もうじき東京都民になる娘も一緒に、春のお墓参りができました。
とりとめもないつぶやき、ここに書きとめておくことにします。
静かな、家族の時間を過ごすことができました。
とりとめもないつぶやき、ここに書きとめておくことにします。
静かな、家族の時間を過ごすことができました。