あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

お墓、かくあるべき!

気持ちの整理をするため、吐きます。

暑さ寒さも彼岸まで、
でも昨日の日中の気温は真夏並みでした。
ある大切な人達のお墓参りはとても大変でした。
数年ぶりに訪ねたのですが、お彼岸だというの草が生い茂りひどい有様でした。
炎天下で必死の清掃。
玉の汗のおかげで、情けなさでこみ上げた涙は誰にも気づかれずに済みました。
心身共にひどく消耗しました。
歳のせいか、今日になって体のあちこちが痛みます。
草まけの赤いブチブチもそのまんまです (-_-)

合理主義者の家族には墓は無用のものであったようです。
しかし故人が自ら建立したお墓は、思いのたくさんこめられたお墓です。
仮に生前に色々な確執があったとしても、とても粗末にはできません。

鎮魂の文字。
  でも、なんと魂の安まらないお墓であることか。。。

辛いことがたくさんあったとしても、年を経て手を合わせる数を重ねてそれらは風化するのです。
そして、辛さの陰にあった感謝の気持ちだけで、残された者の心は満たされるようになるのです。

ただの石
 たかが石
    されど石、なのです。

汗みどろになり、暑さで朦朧としながらも
清々しい気持ちで、静かに手を合わせることができました。

思いがあるのなら、心の中で手を合わせればいい。

特に親しかった人はそれもできましょう。
でも、もともと外野席に取り残されていた身、
モニュメントと季節の節目にこだわらざるを得ないのです。

もうあなろぐもあと数年で50歳!
遠慮は大概にして、心おきなくひとりでも、季節にはお参りをしようと思います。
ただ、夏場は山中に踏み入るほどの覚悟で、万全の装備をすることにします。

どうぞ藍子におまかせください。
十三回忌には、鎮魂の文字を皆が静かにかみしめることができたらと思います。


*この後訪れた祖父母が眠るお墓は、市内を見下ろす高台にあります。
改葬され墓石に昔の佇まいはないものの、子供の頃野の花を摘んた周辺は昔のままです。
 幼い頃、気候の良いお彼岸には遠足気分で、大好きだった祖父母とお墓参りが楽しみでした。
 (草刈りはちょっぴり大変でしたが。)
 私が知る人は誰一人葬られてはいませんでしたが、
 幼い私にも、今の自分を世に出してくださったご先祖さまに感謝し、一心に手を合わせていました。
 歳を重ね、多くの死や生と接する機会をも重ねればその思いは一層強くなります。

 愛らしい花が咲くからと、実家にあった花の苗を植える老いた父。
 やはり、お墓とはかくあるべき。
 ちょっぴり切なく、心に刻んだのでした。

 勝手な思いこみと承知しながら、私はやはり、譲ることができません。