「子ども手当」に思う、「給付」と「徴収」のコスト、そして・・・
師走、年末調整で担当者方は忙殺される季節です。
給与に係わる仕事の経験者には、容易に理解いただけると思いますが、支給(給付)と徴収には、
それぞれ、ルールに基づいた手続きが必要でそれにはコストがかかります。
子ども手当のバラマキは、いかがなものでしょうか。
もともと非課税の低所得世帯は、控除の恩恵に浴すことができないというのが趣旨らしいですが、合点がいきません。
適正な税徴収の仕組みを設計し、本当に必要な人だけに給付をすれば、それですむ話しで、それをしないのは、明らかな怠慢です。
現金を手にした瞬間のぬか喜びが、与党への支持につながると期待しているのであれば、これほど国民をなめた話しはないって思っています。
年50万円の給付と、年50万円の増税が同時に行われた場合、プラスマイナス0(ゼロ)ではなく、コストを加味すれば、全体で見ればマイナスです。
もともと扶養控除を受けないとしても、こんな税金の無駄遣いを捨て置くことはできません。
「給付」と「徴収」には、それぞれ徴収の現場や役所で膨大なコストが発生していることに、今、思いをめぐらせるべきではないでしょうか?
定額給付金で、庶民が現金を手にした時、そこには新たな消費が生まれました。
消費の拡大こそが目的でしたから、即効性のある良薬だったと思っています。
しかし、「子ども手当」は、給付目的に目をやれば、本来支給を受ける必要の無い人にも行きわたるわけで、ましてや、必ず子どもに使われる保証は無く、あまりにも安直な税金の使途であるように思えてなりません。
「もらえることはいいことだ!」この多勢の意見を楯に、税金の無駄遣いがまかりとおるのであれば、行政のコスト削減など、議論するのも虚しいことではありませんか。
また、25歳学生を扶養家族に持つ親としては、高校より大学ははるかにお金がかかるものの、サラリーマンの共働き世帯は、奨学金制度改革の恩恵に浴すことはまずありませんし、大学院生なんて特定扶養控除の対象にさえなりません。
この現実を思えば、安易な給付とともに、高校授業料の無料化は、ますます格差を助長する要因になるような気がしています。
私の娘は、限られた仕送りをやりくりし、真面目に勉学に励む、心やさしい学生です。
県外に暮らす娘の生活費は、この数年、わが家には大きな負担でしたが、扶養手当の対象にもならず、やっとかっと税制上の一般扶養者でした。
通勤バスで、ブランドのバッグで二人分の座席を陣取り、お化粧をする女子高生の授業料は、もうじきタダになります。
今、なんとか娘も親も頑張り通せたこと、健康や周囲の状況に感謝するものの、今度の改革では、全く手が付けられていないことを、とても残念に思っています。
あまりにもアンバランスではありませんか。
暮らしの安全を守るための公共事業の価値を十分理解し、福祉にはお金がかかることも納得しており、応分の負担を惜しむつもりはありません。
ただ、庶民の現実に無配慮な、税の不公平感が、兼業主婦の政治不信を、ますます助長するのです。
鳩山様へ
友愛という言葉を、これ程、空々しく聞いた年はかつてありませんでした。
昔、子ども達の保育料で、すごい不公平感を感じていたことを思い出し、またしても、弱い者イジメをされているような気がしております。
恵まれた暮らしの方にやさしい、ザルで税金をすくい取る仕組みは、私ども庶民にはとても過酷です。
子ども達に、毎月1500万円のお小遣いをあげるのは、決して日本の常識ではない筈です。
庶民の痛みは、知らないでは、すまされません。
簡単に取れる所から絞り上げる税徴収の仕組みのもと、高価な外車を乗り回し、ブランド物で身を包む非課税の方がたくさんいる傍らで、もの言えぬサラリーマン共働き世帯の怒りは頂点に達していることをご理解ください。
痴性派あなろぐには、難しいことはわかりません。
ただ、私のような、フツーのオバチャンも理解出来るような、一般市民が納得できる説明を、なさる必要があるのではありませんか。
現況では、私が永遠の小学5年生だとしても、この子供だましの政策は支持できませんっ!!
給与に係わる仕事の経験者には、容易に理解いただけると思いますが、支給(給付)と徴収には、
それぞれ、ルールに基づいた手続きが必要でそれにはコストがかかります。
子ども手当のバラマキは、いかがなものでしょうか。
もともと非課税の低所得世帯は、控除の恩恵に浴すことができないというのが趣旨らしいですが、合点がいきません。
適正な税徴収の仕組みを設計し、本当に必要な人だけに給付をすれば、それですむ話しで、それをしないのは、明らかな怠慢です。
現金を手にした瞬間のぬか喜びが、与党への支持につながると期待しているのであれば、これほど国民をなめた話しはないって思っています。
年50万円の給付と、年50万円の増税が同時に行われた場合、プラスマイナス0(ゼロ)ではなく、コストを加味すれば、全体で見ればマイナスです。
もともと扶養控除を受けないとしても、こんな税金の無駄遣いを捨て置くことはできません。
「給付」と「徴収」には、それぞれ徴収の現場や役所で膨大なコストが発生していることに、今、思いをめぐらせるべきではないでしょうか?
定額給付金で、庶民が現金を手にした時、そこには新たな消費が生まれました。
消費の拡大こそが目的でしたから、即効性のある良薬だったと思っています。
しかし、「子ども手当」は、給付目的に目をやれば、本来支給を受ける必要の無い人にも行きわたるわけで、ましてや、必ず子どもに使われる保証は無く、あまりにも安直な税金の使途であるように思えてなりません。
「もらえることはいいことだ!」この多勢の意見を楯に、税金の無駄遣いがまかりとおるのであれば、行政のコスト削減など、議論するのも虚しいことではありませんか。
また、25歳学生を扶養家族に持つ親としては、高校より大学ははるかにお金がかかるものの、サラリーマンの共働き世帯は、奨学金制度改革の恩恵に浴すことはまずありませんし、大学院生なんて特定扶養控除の対象にさえなりません。
この現実を思えば、安易な給付とともに、高校授業料の無料化は、ますます格差を助長する要因になるような気がしています。
私の娘は、限られた仕送りをやりくりし、真面目に勉学に励む、心やさしい学生です。
県外に暮らす娘の生活費は、この数年、わが家には大きな負担でしたが、扶養手当の対象にもならず、やっとかっと税制上の一般扶養者でした。
通勤バスで、ブランドのバッグで二人分の座席を陣取り、お化粧をする女子高生の授業料は、もうじきタダになります。
今、なんとか娘も親も頑張り通せたこと、健康や周囲の状況に感謝するものの、今度の改革では、全く手が付けられていないことを、とても残念に思っています。
あまりにもアンバランスではありませんか。
暮らしの安全を守るための公共事業の価値を十分理解し、福祉にはお金がかかることも納得しており、応分の負担を惜しむつもりはありません。
ただ、庶民の現実に無配慮な、税の不公平感が、兼業主婦の政治不信を、ますます助長するのです。
鳩山様へ
友愛という言葉を、これ程、空々しく聞いた年はかつてありませんでした。
昔、子ども達の保育料で、すごい不公平感を感じていたことを思い出し、またしても、弱い者イジメをされているような気がしております。
恵まれた暮らしの方にやさしい、ザルで税金をすくい取る仕組みは、私ども庶民にはとても過酷です。
子ども達に、毎月1500万円のお小遣いをあげるのは、決して日本の常識ではない筈です。
庶民の痛みは、知らないでは、すまされません。
簡単に取れる所から絞り上げる税徴収の仕組みのもと、高価な外車を乗り回し、ブランド物で身を包む非課税の方がたくさんいる傍らで、もの言えぬサラリーマン共働き世帯の怒りは頂点に達していることをご理解ください。
痴性派あなろぐには、難しいことはわかりません。
ただ、私のような、フツーのオバチャンも理解出来るような、一般市民が納得できる説明を、なさる必要があるのではありませんか。
現況では、私が永遠の小学5年生だとしても、この子供だましの政策は支持できませんっ!!