お金の使い道
この春、スーパーの冷蔵棚からは、バターがなくなりました。
我が家の定番のコーヒー豆は、在庫限りで当分品切れになるそうです。
食料品はじめ色々な品々が値上がりして、庶民のくらしを圧迫しています。
大変なことですが、小市民が暮らし方について考えるよい機会なのではないかと思ったりしています。
昔、日本はお米が不作で、タイからお米を輸入したことがありました。
実家は没落商家なので、決して裕福ではありませんでしたが、当時にしてはグルメなお家でした。
でも、お米はフツーのお米をいただくのが、昔からの父の方針でした。
ある日、実家で、お米ぐらい、お金をかけて美味しいのを食べたいと不満を言うと、父は静かに言いました。
「タイから、貴重なお米をわけていただくのはありがたいこと。
黙って食べなさい。」
そのことがあって、子供達の手前、我が家もタイ米を食べ続けることになりましたが、お米のこと、タイやアジアの国々について、考えるきっかけともなりました。
そして、次の収穫の時期を迎え、新米の炊きたてご飯を家族で美味しくいただいた喜びは忘れられません。
だから、なんてったって、ほかほかご飯が、いまだに一番のごちそうです。
また、幸いなことにお向かいの八百屋さんでは、地元で穫れた新鮮な野菜や近海物の新鮮なお魚も買うことができます。
この頃、心おきなく良い素材を求めるために、ムダを省くとともに、とことん素材を活かす調理に気をつけるようになりました。
あと、数々の調味料は取り敢えず、手持ちがなくなった分から買わないことにして、基本の調味料(砂糖、塩、醤油、味噌)で味付けを工夫することにしました。
野菜など、素材の美味しさが引き立ちます。
あたりまえの、大切なことを忘れてすごしていたような気がしています。
食べ物に謙虚になる機会など、今の日本ではなかなかないことでした。
考えようによっては、とってもよいことです。
世の中うまくできてるって思いません? (^_-)-☆
本来の価値とともに、希少性などによって価格はどんどん変わります。
鯨肉はなかなか口にはいらないものの、上がったとは言え、アジやイワシはまだまだ庶民の味で頑張ってくれています。
バナナが、一年中お安く出回っているのもありがたいことです。
また、お金を出せばたいていのものが手に入る時代です。
自分なりのものさしで、自分自身の本当の豊かさについて考えたいのです。
そして、悲観的になるよりは、居合わせたこの場面で、幸せに過ごす術をさぐるのがあなろぐ流です♪
貧乏人でも、麦が食える社会は、広い世界のまた長い歴史の中では、まだ幸せな社会だったかもしれません。
幸いにも私達は、豊かな瞬間に生を受けることができましたが、これを本当の意味で幸運なことにするのは自分自身だと思っています。
今、穀物価格が高騰を続けております。
でも、変わる世の中で、今の幸せを知る、見つけるのが、人間の叡智だと、あなろぐは思っています。