「廃人」の選択・・・つづき
機構改革を実効性のある、よりよい改革にするためには、
管理職の意識改革をはかるとともに、事務機構における人事権行使の際、
内部牽制が働く仕組みを作ることが必要です。
人事権がハラスメントの道具にされる限り、全体の利益に配慮したよい仕事を、
事務職員は行うことができません。
今回、ひととき、私の処遇が改善されたとしても、何の解決にもならないことはわかっています。
私が、心穏やかに、本来の仕事に励めた筈の日々は、二度と帰ってくることはありません。
既にメチャメチャに崩壊したキャリアパスも、もう修復されることはありませんし、
何よりも、わずか2年あまりで、パワーハラスメントは繰り返されてしまいました。
以前、人事権を道具にしたパワハラの背景には、もっと大きなパワハラがありました。
仕事量はそのまま、フルタイムからパートタイムに切り替えられる等の、理不尽な処遇に耐えたあげく、
繁忙期に休暇をたくさん取り、黙って辞めて行かれた、優秀なパートさん達のことを思う時、
ものが言える我が身が、まだありがたいと思いました。
「局長や部長(時としてそのまた上)はなんもわかっとらん。!」と、毒づく傍らで重ねられた、
女性の部下達への不当な圧力でした。
・・・私に言わせれば、上の方が、よほど理解があったという印象がありますが(苦笑)
おそらく、職階上位者に卑屈になる心の弱さが、屈折してパワハラとなってしまったのでしょう。
今回も、同様のパワハラの背景には、深刻な誤謬を闇に葬ろうとする力が存在しています。
さらに、パワハラを行った人の心情に立ち入る時、恥ずべき行為のそもそもの原因は、やはり人間の弱さではないかと、私には思えてまいります。
上司の保身のための不当な圧力に耐える唯一の術が、このパワハラではなかったかと思えるからです。
ハラスメントは、絶対にゆるされない卑怯な行為ですが、それに手を染めるのは、結局、
人の弱さのせいと思えば、収まりのつきそうにない自分自身の気持ちも整理がつきます。
人は誰も弱く、弱さは、時に、愛や思いやりも生み出し、一概に否定すべきものとも思えません。
ただ、職階制の中で与えられた、正当な権限を越えたアヤシイ力は暴力を生むと思います。
弱い者イジメの、悪しき連鎖。
根源をきちんと断ち切らなければ、きっと、ハラスメントはまた繰り返されます。
まずは、陽の当たるところで、ハラスメントの存在を明らかにし、
何をなすべきなのか、検討の課題にしていただこうと思っております。
その上で、再発させない仕組み作りを、みんなで考えることが大切だと思います。
それにしても、最初のうちは、ただショックで、誰も信じることができず、放心状態でした(苦笑)
異動、配置を直接担当するのは、数ヶ月前までは信頼していた上司で、かつてのいい仕事の協力者でしたから。
正直、くやしさよりかなしさで心はいっぱいになり、他人の善意を信じることさえできなくなりました。
でもこれこそが、まさしく上が望んだことに違いありませんでした。
そして、まさに「うつ」状態にしばらく陥りました。
ただ、私は、幸いなことに、これを克服する術を身につけた人なのだと、
このブログの過去記事を読み返しながら、あらためて思うことができました。
忘れてしまいそうな自分自身の言葉、過去の数々の出来事が走馬燈のように甦り、
これまでの私と、真摯に関わり、支えてくれた家族や仲間のたくさんの笑顔を思い浮かべて、
そのひとつひとつは、決して、変わってなどいないと、そう信じることができました。
つたない記事にいただいたコメント、たくさんのやさしい励ましや、時に温かい苦言。
多くはお顔さえ存じ上げない方々の善意で、まさしく生かされていると、思い、
感謝の気持ちで満たされました。
そして、就活中の娘が、不出来な母を、不器用な職業人の生き方を、認めてくれたことも大きな支えです。
この、毒吐きブログには、大人げないあなろぐの感情があちこちにはじけていて、
怒りは、時に素晴らしいエネルギーを生み、それが必要な場面もあったことを思いおこします。
ただ、うらみや憎しみからは、得るべきものは何も生まれないと、いつも肝に銘じております。
今回も、なされた行為はゆるされないものの、目的を見失わないように、今こそ冷静でありたいと思います。
それにしても、制度として、人事に関する苦情処理や、ハラスメント救済の仕組みがあったとしても、
これを利用して、セカンドハラスメント無しに、解決を図るのは、実際は容易ではありません。
そして、このハラスメント、事件の再発防止と業務改善、事務機構改革の軌道修正。
どれをとっても、考えれば考えるほど、問題の大きさがずしりと重く感じられるばかりです。
事務の末端にはどうすることもできないもののように思えてきてしまいます。
こんな時、人はよく、問題は縦に並べて、ひとつずつ解決していくしかないと言います。
確かに、問題点の整理は、ひとつずつきちんとするする必要がありますが、今回の件を遠目に眺めていると、
共通する原因に辿り着くことができます。
ひとつを解決していくプロセスが、他の解決につながると思えば、おもしろいゲームかもしれません。
そして、私は、当事者、末端の事務のオバチャンとしての役割を、
また、無関心な方の興味を呼び覚まし、それなりの役割を担いさえすれば、
案外たやすく、みんなが笑える結果に辿り着けそうな、そんな気がしています。
お給料をいただくからには、職務専念義務があり、1日7時間45分遊んで過ごすことはゆるされません。
時々、散りゆく木々の葉に目をやり、大きなため息をついたりしながらも、
大切に、時間を過ごしていきたいと思います。
静かな水面に小石を投げると、さざ波が起きて、鳥は飛び立ちます。
そして鳥は、私の手の届かない所にある、高い木々の枝を揺らします。
うまく、響きあうことができれば、無力を嘆くことはない、そう思っています。
※ 「あきらめない。」進化したあなろぐを確認するために、過去記事をTBしておきます(笑)
昨日の記事にいただいた、温かいコメントのお返事に代えて、この記事を書きました。
今日は、でじと一日デート。
芸術の秋を満喫したいところなのですが、、、およそ「芸術」とは縁遠い常日頃。。。
珍道中が予想されますが、ともあれ楽しんでまいりまぁ~す♪
(^_-)-☆
管理職の意識改革をはかるとともに、事務機構における人事権行使の際、
内部牽制が働く仕組みを作ることが必要です。
人事権がハラスメントの道具にされる限り、全体の利益に配慮したよい仕事を、
事務職員は行うことができません。
今回、ひととき、私の処遇が改善されたとしても、何の解決にもならないことはわかっています。
私が、心穏やかに、本来の仕事に励めた筈の日々は、二度と帰ってくることはありません。
既にメチャメチャに崩壊したキャリアパスも、もう修復されることはありませんし、
何よりも、わずか2年あまりで、パワーハラスメントは繰り返されてしまいました。
以前、人事権を道具にしたパワハラの背景には、もっと大きなパワハラがありました。
仕事量はそのまま、フルタイムからパートタイムに切り替えられる等の、理不尽な処遇に耐えたあげく、
繁忙期に休暇をたくさん取り、黙って辞めて行かれた、優秀なパートさん達のことを思う時、
ものが言える我が身が、まだありがたいと思いました。
「局長や部長(時としてそのまた上)はなんもわかっとらん。!」と、毒づく傍らで重ねられた、
女性の部下達への不当な圧力でした。
・・・私に言わせれば、上の方が、よほど理解があったという印象がありますが(苦笑)
おそらく、職階上位者に卑屈になる心の弱さが、屈折してパワハラとなってしまったのでしょう。
今回も、同様のパワハラの背景には、深刻な誤謬を闇に葬ろうとする力が存在しています。
さらに、パワハラを行った人の心情に立ち入る時、恥ずべき行為のそもそもの原因は、やはり人間の弱さではないかと、私には思えてまいります。
上司の保身のための不当な圧力に耐える唯一の術が、このパワハラではなかったかと思えるからです。
ハラスメントは、絶対にゆるされない卑怯な行為ですが、それに手を染めるのは、結局、
人の弱さのせいと思えば、収まりのつきそうにない自分自身の気持ちも整理がつきます。
人は誰も弱く、弱さは、時に、愛や思いやりも生み出し、一概に否定すべきものとも思えません。
ただ、職階制の中で与えられた、正当な権限を越えたアヤシイ力は暴力を生むと思います。
弱い者イジメの、悪しき連鎖。
根源をきちんと断ち切らなければ、きっと、ハラスメントはまた繰り返されます。
まずは、陽の当たるところで、ハラスメントの存在を明らかにし、
何をなすべきなのか、検討の課題にしていただこうと思っております。
その上で、再発させない仕組み作りを、みんなで考えることが大切だと思います。
それにしても、最初のうちは、ただショックで、誰も信じることができず、放心状態でした(苦笑)
異動、配置を直接担当するのは、数ヶ月前までは信頼していた上司で、かつてのいい仕事の協力者でしたから。
正直、くやしさよりかなしさで心はいっぱいになり、他人の善意を信じることさえできなくなりました。
でもこれこそが、まさしく上が望んだことに違いありませんでした。
そして、まさに「うつ」状態にしばらく陥りました。
ただ、私は、幸いなことに、これを克服する術を身につけた人なのだと、
このブログの過去記事を読み返しながら、あらためて思うことができました。
忘れてしまいそうな自分自身の言葉、過去の数々の出来事が走馬燈のように甦り、
これまでの私と、真摯に関わり、支えてくれた家族や仲間のたくさんの笑顔を思い浮かべて、
そのひとつひとつは、決して、変わってなどいないと、そう信じることができました。
つたない記事にいただいたコメント、たくさんのやさしい励ましや、時に温かい苦言。
多くはお顔さえ存じ上げない方々の善意で、まさしく生かされていると、思い、
感謝の気持ちで満たされました。
そして、就活中の娘が、不出来な母を、不器用な職業人の生き方を、認めてくれたことも大きな支えです。
この、毒吐きブログには、大人げないあなろぐの感情があちこちにはじけていて、
怒りは、時に素晴らしいエネルギーを生み、それが必要な場面もあったことを思いおこします。
ただ、うらみや憎しみからは、得るべきものは何も生まれないと、いつも肝に銘じております。
今回も、なされた行為はゆるされないものの、目的を見失わないように、今こそ冷静でありたいと思います。
それにしても、制度として、人事に関する苦情処理や、ハラスメント救済の仕組みがあったとしても、
これを利用して、セカンドハラスメント無しに、解決を図るのは、実際は容易ではありません。
そして、このハラスメント、事件の再発防止と業務改善、事務機構改革の軌道修正。
どれをとっても、考えれば考えるほど、問題の大きさがずしりと重く感じられるばかりです。
事務の末端にはどうすることもできないもののように思えてきてしまいます。
こんな時、人はよく、問題は縦に並べて、ひとつずつ解決していくしかないと言います。
確かに、問題点の整理は、ひとつずつきちんとするする必要がありますが、今回の件を遠目に眺めていると、
共通する原因に辿り着くことができます。
ひとつを解決していくプロセスが、他の解決につながると思えば、おもしろいゲームかもしれません。
そして、私は、当事者、末端の事務のオバチャンとしての役割を、
また、無関心な方の興味を呼び覚まし、それなりの役割を担いさえすれば、
案外たやすく、みんなが笑える結果に辿り着けそうな、そんな気がしています。
お給料をいただくからには、職務専念義務があり、1日7時間45分遊んで過ごすことはゆるされません。
時々、散りゆく木々の葉に目をやり、大きなため息をついたりしながらも、
大切に、時間を過ごしていきたいと思います。
静かな水面に小石を投げると、さざ波が起きて、鳥は飛び立ちます。
そして鳥は、私の手の届かない所にある、高い木々の枝を揺らします。
うまく、響きあうことができれば、無力を嘆くことはない、そう思っています。
※ 「あきらめない。」進化したあなろぐを確認するために、過去記事をTBしておきます(笑)
昨日の記事にいただいた、温かいコメントのお返事に代えて、この記事を書きました。
今日は、でじと一日デート。
芸術の秋を満喫したいところなのですが、、、およそ「芸術」とは縁遠い常日頃。。。
珍道中が予想されますが、ともあれ楽しんでまいりまぁ~す♪
(^_-)-☆