自由・秩序、そしてルール
自分の常識・他人の常識。
様々な価値観・・・。
人々がよりよく生きて、幸せに暮らしていくための自由と秩序を守る手段、それがルールであると考えます。
また、他人の痛みがわからぬ我が身が、他人を傷つけないためのきまりがルールなのではないでしょうか。
ところで、ルールは、当事者が遵守を意識して初めて意味をなすものです。
当事者意識や遵守意識の欠如は、組織における秩序の崩壊を招くことを肝に銘じてください。
他人の痛みのわからぬ我が身、他人を傷つけることが怖い小市民。。。
よほどのデリカシーを見つけるか、取り敢えず生きたルールの遵守が、より良き方策であると考えます。
ルールを守らないのであれば、他人の痛みがわからぬ我が身、デリカシーは大切にしなければなりません。
そして、ルールを守らないのであれば、せめて、それが招く結果に責任をもってください。
小心者の私は、時々、ひとりだけ、赤信号が渡れない時があります。
それで「群れ」に嗤われたりもしますが、どうか、このままでいさせてください。
骸となった大平原の赤信号と、生きたルール。
あなろぐは今、明確な根拠のもと、これを判断するのが人間のお仕事、マネージメントであると考えます。
しかし、管理職がマネージメントを忘れた組織、ベテランとしては、宙を眺めて放心する群れに連なるより、自らの嗅覚を信じない訳にはまいりません!
一方で、大平原の安全な赤信号、時々これ幸いと漫然と待ち続ける群れに顰蹙を買ったりしますが、私はこれからもスキップで渡らせていただきます!
マネージメントが出来ない中間管理職は、男らしく(?)目をつぶってくださいっ!!!