あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

食うために働く

何があった訳ではないが、職業観について少し語りたい。

事務が私の仕事であるが、職業となれば、「法人職員」と答えなければいけない。
職業に貴賤はない。
「娼婦」という職業さへ、蔑むことは、誰にも許されない。

一方、人は仕事に誇りを持つべしと言う。
誇りの持てる仕事とそうでない仕事はあるらしい。
まぁ、秀でた能力など何もない無学な女がやる、たかが事務(本音はされど事務!)
私は、食うために働き、時に生業のためにその誇りを捨てる。
例えば、都合の悪いことには逆ギレをし、因縁をふっかけるヤクザのような男に、
黙って頭を下げもする。

組織人の仕事は、私物では無い。
組織の方針に従うためには、仕事への誇りに価値を見いだす余地は無い。
これは、組織から生きる糧を得る者の務めであると承知している。
組織への愛着ではなく、サラリーへの対価であると考える。

「食うために働いている」と言えば、
周囲のやさしいおじさま達は、
「あいこちゃん、そんな下卑た言い方はお止しよ。」とやさしく諭してくれる。
涙が出る程、身に染みる温かい言葉であり、感謝は言い尽くせない。
それでも、私はつくづくそう思い、自分を下卑た女だと思う。
幸か不幸か、売るほどのカラダはなく、私は娼婦にはなれない。
しかし、私はカラダの代わりに、誇りを売る。

ただ、食うために働くのだから、仕事はおろそかには出来ない。
(でも、それが私の全てではないしぃ~♪)

組織は、その存在意義と目的、社会的責任を組織の内外に公開している。
それは、その一員である私の誇りとするものである。
末端の一員として、その方針に従うことを私の職業人としての誇りであると考えている。

私は、職業婦人として組織で働き、その対価を得、
夫と支え合い、二人の子供達を育て、共に生きて来た。

職業人として、病む日はあっても、その時々の日々の務めを果たし、年を重ねて来た。

食うために、私はこれからも働き続ける。









* 過去記事で述べた内容の焼き直し(^^;
  もいちど、自分に言い聞かせるためにさぁ、書いてみただけさぁ。
  あははっ、、、

  他意はないってぇ~っ!
  誰がヤクザのようなぁ~んて、言ったつもりもないもんねぇ~♪

  勘ぐっちゃいけませんよぉ(笑)