あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

病気とキャラの境目(うつ病のこと)

“適応”の定義は曖昧で、職業や周囲の状況によって大きな個人差がありますから、患者や周囲の判断によることになるのでしょうが。
日常の家事や仕事が、何週間も出来ない状態は、明らかに適応できていない状態と言えますが、病気の時は、患者本人の病識は案外薄いものです。
常々この物差しで自分自身の状態を、客観的に評価してみることは良いことだと思います。

また、不調の時は、丁寧に暮らしつつ「出来ている」実感はしっかり味わうと良いと思います。
そのささやかな達成感は、少なからず、心の健康への自信につながります。

実は、退院後約半年を経過した頃、再燃の実感がありました。
取り敢えず、年次休暇で少し休養を取りました。
この時、回復の実感は無かったものの、仕事に戻りました。
短い休養ながら、体を休めて、感情を司る意識の整理が自分なりに出来たように思います。
気分や感情の揺れも自分の一部として、また働くことを自分自身の一部として、
働きながら治し、リズムを作りたいと言う申し出を主治医が尊重してくれて、少し早めの復帰となったのですが、結果的に、私には良いことでした。
気分の浮き沈みは誰にでもあるもの、過敏になり過ぎず、日常の気分の浮き沈みに冷静対応するしなやかなさは大切です。
当初の入院で、しっかり治せたこと、コントロールのコツをきちんと掴めていた成果と思います。

心理的な刺激をストレスの一言で表現し、悪者扱いしがちです。
でもそれは、悪しきことばかりではありません。
人とのふれあいや、仕事の達成感、何より働ける喜びはとてもよい刺激です。
よい刺激はたとえひとときなりとも、うつを忘れさせてくれます。
再燃を働きながら克服できたことは、大きな自信になりました。

照る日もあれば、曇る日も雨も嵐の日もあります。
それが自然なのです。
そして、気分や感情は揺れ動くもの。
喜怒哀楽の感情を持ち乍ら、日々の暮らしを営むこと。
それが人としての、本来の姿なのではないでしょうか。

主治医の短い言葉は、病気の時は高いハードルを感じさせるものでした。
しかし今は確かな物差しとして、私の心の健康をサポートしてくれています。