あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

組合が嫌いなワケ

私は組合が嫌いです。
これはにはとても単純で明確な理由があります。
そう、あれからもう30年が経ってしまいました。

高校の入学式の日のことでした。
この日私のクラス担任は、組合の用事で欠席でした。
年次休暇という権利の行使を、生徒を迎えることよりも優先されたことにとても寂しい思いをしました。
この件に関して唯一記憶している担任教師の言葉は、同級生の詰問に対する「いや、すまん。」の一言。
組合運動、運動部顧問に精出す若手教師は、結構人気を集めました。
しかし私に限っては、組合運動への不信だけが根強く続いています。

私の就職した職場にも組合がありましたし、お誘いを受けました。
しかし、はいったことはありません。

一般的に、組合に入らない理由に、出世の妨げになる、組合員費の負担、煩わしい・・・etc.
を上げる人が多いようです。
でも、豊かな暮らしではないものの、取り敢えずボランティア活動にうつつをぬかす身。
私の場合ははいってもかまわないのです。
しかも、組織が変わり組合の担うべき役割と責任も増えました。
せめて7割程度の組織率は確保してもらいたいという期待もあります。

それでも、私は組合が嫌いです。
チラシなどで見る限り、「目先の権利の行使にとらわれる組合」のイメージは
30年経った今でも、変わりありませんから。

長い職業生活で、熱心な組合活動を続けておられる方と語る機会も幾たびか持てました。
その会話の中では、組合運動に大きな魅力も感じました。
「是非はいってよ。」の言葉に何度もその気になりかけたことがあります。
でも、体はひとつ。
他のことにかまけているうちに今日に至りました。
一握りの活動家で組織全体が変わらないというのは、どこも同じです。
組織全体が魅力を放ってはじめて人を引きつけるのです。

私はこれまで理不尽な事柄に対しては、監督官庁や管理部門にひとりで照会や主張を行って参りました。
そしてたとえ成果は無くとも、自分なりに納得することができました。
このため、「群れる」必要を感じていなかったというのも、
嫌いに加えて組合にはいらない理由のひとつです。

役割と責任を担うにふさわしい姿に変化しない組合。
傍目にちょっと寂しく思います。
時々、もっとうまく攻めればいいのにぃ。。。
なぁんて、歯がゆい思いをしながら、組合を眺めています。