国立大学法人は、治外法権かっ?!
法令規則や倫理よりも、因習を優先する組織。
今あらためて、問うてみなければならない。
三十数年前、重大な会議で、いつも穏やかなトップが声をあらげることがあった。
しぼり出された一言、「大学は治外法権じゃないんだからっ!」
18の小娘はおかしさに一瞬吹き出しそうになったものの、配りかけのお茶のおかわりをこぼすまいと、なんとかこらえることができた。
だが、水を打った静けさ、それはどれだけ続いただろう。
当時の話題が何だったのかも含め、これ以外の記憶は一切残っていない。
遠い遠い昔の話しである。
長いこと意識の外に遠のいていた記憶が蘇ったのは、昨年6月。
先月、やっとのことで新聞報道にこぎ着けた数千万円にのぼる社会保険料の誤り。
なかったことにしてはいけないと、内部通報窓口である弁護士事務所を訪ねた時のことだった。
事件の大きさとともに、予想されるリスクの大きさに怯えた私は、用意していた書面を提出する際、往生際悪く、通報の妥当性について、弁護士としての見解を問うてみた。
答えは、「これはぁ~、なかったことにしてはいけないでしょうねぇ。」
ひと言だった。
この時、一瞬なりとも迷った自分が恥ずかしくなった。
甦ってきたのが、この、息苦しいほどの煙草の煙に包まれた会議室のワンシーンだった。
多分、遠い遠い昔と、この組織は少しも変わっていないに違いない。
今朝、通勤途上で内部通報の後始末でお世話になっている、知人弁護士に遭遇。
歩きながら、膠着している現況を伝えた。
弁護士の「国立大学だったせいか、やっぱりおかしいですねぇ。」というひと言。
私もやはり、これが全てだと思った。
おかしな権威と無責任がまかりとおる、これが諸悪の根源と考える。
「チェンジ!」と声高に叫びはするものの、自身のおかしさを直視しようとはしない。
一体、どこをどう、変わろうというのか・・・?
小手先の業務改革と、意識改革の権威付けに8千万円の予算が投入されている。
せめて、コンサルに投じられるこの血税の半分を、事件の公正な処理と再発防止に投入することが、今、何故できない?
事務トップへの事務職員の人事権付与、教育研究機構との完全分断が、事務機構のおかしさに歯止めがかけられないおかしな組織にしてしまった。。。
組織の一員、当事者のひとりである以上、私はこのおかしさを笑えないし、嗤うこともできない。
無力な末端事務のおばちゃんとして、せめて、世の常識を忘れず、私なりの最善を尽くしたい。
とにかく、染まらずに、錆びずにいたい。
今はそれだけだ。
知人弁護士のひと言を、道々噛みしめ、鈴木藍子の常識と、この組織の常識、一度陽の当たる所で、世間に問うてみるべき時期が来ているのではないかと思った。
近々行われる独立行政法人等の事業仕訳。。。
乱暴なショーを演出する前に、各法人における投入予算と事業の、丁寧な分析が必要と思う。