あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

水・塩・米

※ 「回復のシナリオ」、蛇足で、薬物依存克服体験談、、、
  長い、そしてちょっぴり重い記事です。
  苦手は方は、スルーしてください。



昔、ヤク中の人が禁断症状と闘う様をテレビドラマで見たことがありました。
ヘロインか何かの中毒だったと思うのですが。。。

私の場合、合法ドラッグつぅ~か、ちゃんと主治医に処方していただいたお薬ですが、
実は、抗鬱剤眠剤を勝手に止める時に、全くあの状態になりました。
はい、本来は、あんなならんように、お医者さんは様子見ながら、少しずつ減らすんです。
ただ、思えば若干「躁」だったんでしょうなぁ、、、
独断でバッサリ!んで大変な目にあいました。

退院はしたものの、まだ、てんこ盛りの抗うつ剤眠剤etc.
でも、鬱ではない確信があって、また、この際眠れんなら、眠れんでもいいっかぁ~、
「今、何が病気って、薬物中毒よねぇっ!」って(笑)
お薬の克服こそが、本当の自分を取り戻すこと、、、のような、大それた思いがありました。
あの時は、よく言えば、とても前向きな気持ちだったんですネ。
でも、長く服用を続けた向精神薬を急に止めるのは、実は大変危険な行為なのです。
お薬の離脱では、措置入院で病院に舞い戻った人、
列車に飛び込もうとした人等の話しを聞いていました。
絶対にやってはいけないことでした。
そして、私は人一倍その怖さを思い知っている筈の人でした。
実は何せ、前科一犯、意識障害等で、前回退院後外来治療に戻るまで大変なことがあったんですから(汗)
それでも、あの時、でじの懇願を振り切っても、私はお薬を止めないわけにはいかなかったのです。

決心の翌日から、猛烈な吐き気、下痢、震え、不眠etc.
そして、あの丸3昼夜は、それこそ本当に一睡もせずに過ごしました。
また、それまで体験したことの無い、様々な感覚、
時間の観念が皆無になったり、離人の状態も経験しましたし、
日常のノイズで人の声に似た波長をとらえて幻聴が聞こえるメカニズムを、体感で理解しました。
何でもない5分は、2時間ほどの長い時間に感じられたりしますので、
混乱で慌てないために、日中は、時間の経過の指標になるテレビをつけっぱなしにしました。
また、時系列の軸を書いた紙に洗顔、食塩水の調製他、やったことを細かく書き付けながら、
小刻みに、時間の経過を確認しました。
とにかく、あわてず冷静に、自分自身を客観視して過ごすことだけに集中しました。

カーテンの揺らぎでたまらない不安感や恐怖を感じ、窓(7階の!)から逃げ出したくなる感覚を押さえたり、
恐怖と理性の、まさに生きるための闘いでした。

夜は、11時から朝の7時まで、真っ暗な寝室で横になり、
時々目を開いては、時計の針が時を刻んでいくのを確認しました。
横になって安静にしているだけで、心身は安まるからという主治医の言葉を信じて、
「眠れぬ夜は眠らぬ夜」なんて、訳のわからない呪文を心の中で繰り返し、
ただひたすら、呼吸を整えることに精一杯集中して、長い長い夜を過ごすのでした。
三夜連続、そうやって朝を待ちました。
昼間は、疲れで横になりたいところでしたが、昼夜逆転が怖かったので、
軽く体を動かしたりしながら、リズムを整えました。
(実際は、最初の自然な就眠まで、昼間に眠気がさすことはありませんでした。)

悪心とおう吐はだんだん激しくなり、食べ物は何も受け付けなくなりました。
(ちなみに当時の体重は、今より15kg以上軽く、怖いくらい痩せており、食べられないことには、ひどい恐怖もありましたが。。。)
とにかく、水分を摂らない訳にはいかないので、アルカリイオン飲料を口にしますが、
苦みや化学薬品の臭いが、とても不快で、体が受け付けません。
このため、ペットボトルのお水を抱えて過ごしたのですが、
薬剤の血中濃度は下がっている筈なのに、一向に楽になる気配はありません。
ふと、「塩」に頭が走りました。
生理食塩水の濃度などは考えもおよばず、取り敢えず、美味しいと思える濃さの食塩水を作ることにしました。
ピッチャーにスプーンですくってお塩を溶くのですが、なかなか塩分を感じません。
結局、普段の調理の感覚では信じられない量の食塩を溶き、グラス2杯を夢中で飲み干しました。
濃度が気にかかり、その最初の食塩水をぐい呑みにサンプリング。
それから、飲む毎にピッチャーの食塩水がしょっぱく感じられ、その度に水で薄めては、ぐい呑みにサンプリング。
テーブルに、4個のぐい呑みが並んだ頃、体はかなり楽になりました。
最初の食塩水は後で口にしたら、喉が痛くなるほどのからさでした。
試しに、小さじ1(5g)の食塩を500ccの水で溶き、通常美味しいと感じる1%の食塩水を作ってみたら、
最後に飲んだものと同じ味がしました。
それからも食べ物は一切受け付けませんので、その食塩水だけを飲んで過ごしました。
4日目、最初に体が欲したものは、炊きたての白いご飯でした。
かみしめると甘みが増し、100回以上かみしめ、胃に収まる感覚を確かめることができました。
これで助かる!
時間をかけ、やっと食べあげた小さいご飯茶碗にごちそうさまと手を合わせたら、涙があふれだしました。

そして、およそ8年ぶりに、自然の就眠が出来て、正気をようやく取り戻し、
翌朝穏やかな目覚めを迎えることができたのは、奇跡のようでした。
この、命がけの試練でヤクを絶ち(!)、「水、塩、米が日本人の究極の3点セット。」と言う、
確信を得たのでした。
そしてこの出来事を境に、身を飾る物への執着が失せ、何かにつけ、本当に自分に必要な、我が身にふさわしいものを選ぶようになりました。

後日、主治医にこの行為の一部始終を、反省とともに伝えたところ、
しばしの無言の後、「仙人の瀧に打たれる修行でしたね。」と一言。
私の経験した地獄を専門家として理解した上で、なお、過ちを犯した私を認めてくださったのでしょう。

40代半ばまで結構いい加減に生きてきて、強い意志などとは無縁で過ごしてきたように思うのですが、
思ったより、しなやかで強い意志を持ち合わせていたことに、ちょっぴり自信を持ったものの、
それからは、無謀な、無分別な行いは卒業しようと心に誓いました。
でも、意に反して、職業人としてはあいからわず、「しでかす人」みたいですがぁ(笑)

あれから5年、この修羅場を経験した3月がもうすぐやってきます。
望んだとおりに、段々と、記憶は風化していきそうな気配を感じています。
本当に、絶対やってはいけないことだったのですが、
ただ、これ無くしては、当時の私には書くことの出来ない「回復のシナリオ」だったのかもしれません。

うつ病の方、その方を支え回復を望んでおられるご家族等周囲の方に語る「回復のシナリオ」ですが、
決して美しく、心地よいばかりでは無いことを、心ある方には知っていただきたいと思いました。
そして、この修羅場を支えてくれたでじがいたからこそ、私は今こうして穏やかな日々をすごすことができるのです。
十代だった娘には、この時の母親の姿はトラウマとなったようで、3月を自宅で過ごすことに未だためらいがあると、昨年知らされ、少なからず胸が痛みました。
確かに、意識障害も出ていたため、これだけのことをあいまいな記憶で書きとめる私にくらべれば、家族には未だ鮮烈で、痛い記憶なのかもしれません。
でも、家族をはじめ病気の私を支えてくれた人達への語り尽くせない感謝を込め、ここに書きとめておくことにしました。

恥さらしのお見苦しい記事ゆえハート付き、そして、コメはご容赦ください。














NAVYさんの、「水」に関する記事を拝見し、感じるところあって、この記事を書きました。
ちなみに、私は、あれ以来アルカリイオン飲料等はほとんど飲みません。
んで、鉄管ビールでもよいのですが、我が家では現在、麦茶を常備しています。
(サウナに行くときは、水筒に麦茶、梅干しを持っていきます♪)