あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

「生きる力」はいりません!

先日、でじと居酒屋さんに行きました。
鯵の活き作りに箸をのばした時、鯵のしっぽがビチビチビチッと動きました。
思わず合掌。
そして、美味しくいただきました。(^^)v

思えば、私達の体はたくさんの尊い命によって生かされています。
例えば、ひとつぶのご飯は、1株のイネに育つはずだった命です。
私達は、たくさんの命をいただいて生かされているのです。

ところで、「生きる力」、いつから子供達にそんな話をするようになったのでしょう。
今、自分の命を思うとき、果たして、これ以上生きる力なんて、本当に要るのでしょうか?

「死ぬ」と「生きる」は、本来ひとつです。
もともと子供は無邪気な生き物で、自分が死ぬことなんて考えずに育ち、そばにいる老人達とふれあい見送る中、いたわりの気持ちなどを育みながら、だんだんと大人になり、死を意識するようになるのだと思います。
おかしな言い方ですが、「生きる力」などと死を無用に強く意識させることが、生きる力を削いでいるように思います。
「生きる力」という言葉を口にするようになってから、若年層の自殺が増えたと感じるのは私だけでしょうか?

 23歳になった息子がお腹の中にいた時、私の親友はオムツのまだ取れない幼子を残し亡くなりました。当時、「生きる力」を無くしたというより、「生き急いだ」感じがしました。力(リキ)のはいった人でした。
 また、今思えば彼女は、生きる力が足りなかった訳ではなく、ひととき、こころの風邪に冒されていただけのように思います。

 今、生かされている命と思えば、「生きる力」を意識して力むより、自然の恵みや周囲の愛情に感謝する気持ちが先に立ちます。また、この感謝の気持ちは希望を育みます。

 私は、生きていくのに「生きる力」など不要だと思います。

 病気から救ったり、生活力としての生きる知恵を子供に授けることはあっても、「生きる力」を子供に与えるなどという発想はおかしい。
 私はそう思います。