あなろぐばあちゃんのつぶやき

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【転載】東大応援部と医師の共通点、それは「宣誓」と「戒律」

岡崎幸治(東京大学医学部医学科5年) 
 
 20121225日を境に、私は80人から成る東大応援部の65代主将を引退しました。そして翌年から、医学生としての病院実習が始まりました。実習先は東京大学医学部付属病院。2年間かけて心臓外科から皮膚科まで、全ての科をローテーションします。応援に没頭していた頃とは打って変わって、苦しむ患者さんと接し、先生の働き振りを目の当たりする毎日。
 この拙稿においては、この日々の中で見い出された、応援部と医学に通底する驚くべき構造。すなわち、「宣誓」と「戒律」というプロフェッショナリズムに関して、述べさせていただきたいと思います。
 
 古代ギリシャ時代から、医者は、弁護士と並び「プロフェッショナル」な職業、すなわち、公益に尽くすことを第一に求められる、非経済的なギルドだと言われてきました。それは、医者はその専門性の高さが故に、外部からの監視、介入が不可能だからです。それ故、懸命な治療が功を奏さなければ、「人を無駄に傷つけた犯罪者だ」と一概に責めを受けてきました。そこで、社会に立場を認証されるために取ったある行動。それが、‘profession’(=「神への宣誓」)そして反射的に課せられる、「自己への戒律」です。現代に至ってなお、北米の医学生は卒業時に宣誓をします。ギリシャ時代に遡るその文言、「ヒポクラテスの誓い」は、こう始まります。
 「医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、および全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う…」
 患者の健康を第一に治療を行うことを神に誓い、その戒律を自らに課す。このことによって、医者は社会の信頼を得て、ひたすらに患者に尽くすことができたのです。これこそが、医者の「プロフェッショナリズム」の構造です。
 
 私はここに、応援部との共通点を見出します。それは、団旗、すなわち私達にとっての大学の象徴に対する宣誓。そして、応援部としての自己規律です。
 どの大学の応援団も、団旗を至上の宝と見なします。東大応援部の団旗、「淡青旗」は、大学そのものであると教えられます。応援の場で揚げられる淡青旗は、使用前後、下級生が毎回1時間かけて磨き上げ、それに触れる時は、旗以外のことを考えてはなりません。学帽を深く被り、一切無言。東大の名をかけて貢献と鍛錬を誓う旗は、このように何よりも尊重して扱われるのです。
 そして、その上での自己規律。それは、精神力を付けることを重視する練習、そして礼儀からなります。
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 しかしここで、次のような疑問がわくのではないでしょうか。すなわち、応援において、このような定式、自己規律は大した意味を持つのか。単なる自己満足ではないのか。
 「絶対に勝つぞ」。その想いの観客、そして選手への波及が私達の応援の目的です。ところが、もしこの声援がCDに録音されたものだったとしたら。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハンドボール部の同期が言うには、「応援部が来ると本当にモチベーションが上がって、失点してもすぐ切り替えられる」。このように、スポーツにおける応援の効用は明らかなのです。
 
 しかし、応援はいとも簡単に妥協して手を抜けることも事実です。しかもそれは選手、観客が気付きやすいものではありません。それでも私達は、たとえどんなに劣勢な試合であっても、最後の一秒、ラスト一球まで心底から勝利を信じて声を振り絞ります。上辺の形のみならず、厳しい礼儀や練習等の定式を通して骨の髄まで植え付けられた、応援のプロフェッショナルとしてのマインドで以て応援するのです。私が主将を務めた年は、35種類の部活動から依頼をいただき、応援に赴くことができました。応援部の自己規律とは、選手達、そして社会から信用を得るための、己の声に説得力を持たせるための手段なのです。
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 このような、応援部として全力で振舞うという「宣誓」、そして練習、礼儀による「自己規律」。これらプロフェッショナリズムは応援部に欠かせない信頼を獲得するための最適な方法だったのです。
 
 医学でも全く同じことが言えます。
 
 そもそもなぜ、応援部にプロフェッショナリズムが必要になったのか。それは、応援部は選手達を援けるという二者関係にあったからです。
 患者を助ける職業である医者は、この点において応援部と全く同様です。患者が診断上必要な個人情報を医者に話せるのも、手術などのリスクのある侵襲を受け入れられるのも、医者に対する信頼があるからこそです。「医者は私達患者の利益を第一に考え治療する」という、宣誓と自己規律に基づく信頼なくしては、医者は治療を施すことはおろか、社会的立場を保つことすらできなくなるでしょう。
 
 この度、東大病院の血液腫瘍内科が主導した医師主導臨床研究「SIGN研究」で、不正が指摘されました。ノバルティスファーマ社の日本法人が絡み、慢性骨髄性白血病の患者の権利が侵害されていたようです。患者が虚偽の説明の下で臨床研究に参加させられ、しかも血液がんに関する個人情報が外部に流されたというのです。
 真相はいまだ不明です。しかし、報道が真実だとすると、患者と医者の情報非対称性を逆手に取り、患者を騙し製薬会社から見返りを受けるというのは、明らかに医者のプロフェッショナリズムに反する行いです。・・・・・・・・・・・・・東大医学部は自己を律し、一刻も早く社会の信頼を回復しなければなりません。自ら事実を説明し、非があるところは潔く謝罪するべきです。社会の信頼を失えば、医者は患者を助けるという本来の役目を果たすことすらできなくなってしまいます。
 
 私自身、血液腫瘍内科の先生方に2週間熱心な指導を賜りました。このような身であるからこそ、御指導いただいた先生方より、この医学倫理の根幹に関わる問題について私達学生にも納得できる説明をいただきたいのです
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 医者にとっての真の報酬とは、金銭ではないはずです。
 
 それでは、応援部にとっての報酬とは果たして何なのでしょうか。
 私に決まって聞かれるある質問があります。
 「岡崎は、なぜ今まで応援部を続けてきたの」
・・・・・・・・・・・・・・・・ 2012年の暮れ、スポーツの秋の熱狂が過ぎた頃。私の応援部生活を締めくくる最後の演舞会が日比谷公会堂で行われました。終演後、私は観客の一人に呼び止められました。声の方を向けば、それは同期の野球部の主将ではありませんか。彼は労いの言葉をかけると同時に、私に差し入れを渡してきました。
 
 その夜、演舞会の打ち上げの後、やっとのことで帰宅します。そのまま寝てしまおうかと横になりますが、すると、ふと例の差し入れが頭を過ります。疲れと酔いで朦朧とした意識の中、改めて手に取ってみると、それは何やら入っている茶封筒。封を切ると、駄菓子と共に、畳まれたメモ用紙が出てきました。そっと紙を広げてみるとそこには、サインペンでこう書かれていました。
「岡崎、今までありがとう!応援、ほんと力になったよ!」
 あまりに簡素な差し入れに、思わず笑ってしまいました。しかし不思議なことに、涙が溢れて止まらなかったのです。
 
 私が応援部を続けてきたのは、選手たちを応援することそれ自体が、何よりの喜びだったからです。彼らと感じた絆で、どんなに辛い練習も乗り越えられました。
 卒部して1年が経ちました。そして今でもなお、彼らと共に闘った試合の一つひとつが、それを通じて得られた絆が、私の一部をなすかけがいの無い宝なのです。
 私が晴れて医者になった時、患者とのかかわり一つひとつが、また同じように私のかけがいの無い宝として積み重なっていくことを期待して、今後も精進して参ります。
 
筆者プロフィール
 岡崎 幸治(おかざき こうじ)氏 
65東京大学応援部主将。熊本大学附属中学、灘高校を経て、東京大学医学部医学科入学。現在5年生。
 
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今時こんな筋肉脳で・・・
などという奴も居ますが・・・
 
僕はこういう考えが・・・・
好きですね・・・
 
 
      ※転載元:http://blogs.yahoo.co.jp/koredeiino345
 
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関連:朝日新聞の記事
 
 
 
先々の大変なリスクを覚悟の上のことと思います。
 
できるだけ多くの人間が、彼らを支援する必要があると思います。
 
久々に感動しました。
 
 
ちなみに、岡﨑幸治君、熊本県出身者のようです。
 
あなろぐ、彼の応援団になります♪