あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

ご飯の国に生まれて幸せ♪

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<命を頂くことを私たちの「文化」の問題として考える>

      single40さまからいただいた、前記事のコメントから・・・。



「お米という文字は八十八と書く、お百姓さんの苦労、八十八の手間がかかっているから。

そして、おてんとうさんや、水、その他諸々の恵みがあって、

おおよそ半年の丹精があって、お米のご飯をいただくことができる。

お野菜だってそう。

そして、お魚やお肉、卵多くの生命をいただいて生かされている。

食べ物に感謝して、

粗末にすることが無いように。」



幼い頃、1日おきにかかる魚屋のご用聞きの電話、魚が無い日は母は必ず肉屋さんに行く。
近所の八百屋には、街中の料理屋と同じ高級な野菜がふんだんに並んでいた。
魚は無塩じゃないと言う祖母、味にやたらうるさい父、母は毎日ご馳走作りに頭を悩ませる・・・。
九州の田舎町ではあるが、当時にしては贅沢な食生活を送ったように思う。
だが、そんな暮らしの中で今は亡き祖父は、商家のちゃぶ台に並ぶ日々のご飯を眺めては、こんな話しを繰り返し孫達に説いてくれた。

「米糠三升あるなら養子にはやるな。」と言われた昔、極貧の農家から街の当時はまだ羽振りの良かった商家に祖父は養子に来た。
そして、博打だの放蕩三昧で実家をつぶしかけた脳天気なじいさんだったが、また、死ぬまで朝の卵かけご飯を欠かさなかったものの、食べ物の文句は決して口にしなかった。
食への無条件の感謝、多分これが、斜陽の商家で、祖父の幸せを支えた最大のものだったように思う。

教養や品格などと言う言葉とは縁遠い人だったけれど、幼い孫に、生かされている我が身について説き、
日常の食卓で、食べ物への感謝を説いてくれたのだから、スゴイじいさんだと思う。
実家には食前感謝の習慣などなかったが、また、神や仏についてじいさんが語った記憶はほとんど無いものの、人知を越えた何某かの力の存在を教えてくれたこととあわせて、祖父への感謝は語り尽くせない。

祖父は、一粒のご飯も粗末にしないよう、食べ上げたご飯茶碗にお茶を注ぎ、そのお茶碗を洗うようにして、美味しそうにお茶をすすっていた。
私達にとって、お米は神聖な穀物で、ご飯は特別な食べ物なのだ。
それにしても、私達の食文化を語れば、必ずご飯にたどりついてしまう。
たとえ鯛の尾頭の主菜も、おかずはご飯を美味しくいただくための脇役である。

なにせ、「ご飯」は、私達にとっては、食事そのものを表す言葉だもの。


ところで、KABUさんはTBいただいた記事の中で、鯨を食べることができなくなった頃から、日本と言う国がおかしくなったと説いておられた。

国はともかく、私は、お米のご飯を粗末に扱いはじめた頃から、日本人がおかしくなったように感じている。


日常の食卓で、神への感謝より先に、見ず知らずのお百姓さんへの感謝や、他の生き物の生命をいただく食事の尊さを幼いものに説いた祖父。
生かされていることへの感謝、他者や食べ物(物)への謙虚さが、日本の食文化を育んだ。
そして私は、これこそが、日本人の美徳ではないかと感じている。

氾濫する調理済み食品、ファーストフードの台頭など、嘆けばきりがないものの、走り続けるような暮らしの中では、そんな風にしか食生活を支えることができなかったのかも知れないと、我が身を省みても思う。
今、私達には有り余る自由があり、色々な暮らし方の選択肢がゆるされている。
何より、まだまだ豊富な食材に囲まれていることを幸せに感じる。

少しだけ努力をすれば、まだ、当たり前の日本の食文化を、小市民も守ることができる。
日本人が日本の本来の食文化を取り戻す時が、鯨の竜田揚げを、日常の食卓に取り戻す時のようにも思う。





ご飯の国に生まれた幸せ♪

たとえ、どんなに豊かに、あるいは貧しくても、決して忘れたりしない。

擦り込まれた日本人のDNAに感謝。











※ 前記事の半分焼き直しですが、走り続けた頃の反省も込め、日々のご飯への感謝、書きとめておきます。
 「この国では、おてんとさんと米の飯はどんな人にもついてまわる。」
 昔、仕事でせっぱつまった私に、声をかけてくださった先輩がありました。
 その時は聞き流すことしかできなかったものの、あらためて、このご飯の国に生まれた幸せを思います。





本日のお昼ご飯♪
・明太子ご飯
・白菜の浅漬け
・牛蒡と牛肉のうま煮(昨夜の残り物)
・お吸い物(若布と三つ葉