あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

ハイライトが80円?!

ハイライトが80円、だったかな?
遠い記憶でさだかではない。
そんな昔々のお話。

下駄などの履き物と煙草を商う小さな商家の二女として私は生を受けた。
私が生まれる前は、何人もの職人さんがいたらしいが当時すでに十分さびれていた。
それでも、暮れの数週間は忙しくなるため、幼児期は母の実家に預けられていた。
小学校にあがり、少しだけ手伝いができるようになり、幼いながら働き手になった。
大好物の卵焼きが食べたければ、自分で作る。
店では、学生のアルバイトのお姉さんと一緒に働いた。
だが、私が商家の働き手となったのは実はその何年も前!

店番でお客がくれば裏に声をかけるが、定額、少額の煙草は自分で売る。
値段もよくわからず、ましてや算数などまだ教わっていない。
だが、値段やおつりはお客さんが教えてくださる。
御常連にいつもの煙草を差し出せば喜んでいただける。
1万円札の両替に煙草を買われるシャチョーも、私のためにポケットの小銭をあさってくださった。
幼稚園に上がるころは、煙草の値段は全部おぼえていた。(今ほど品数も多くなかったし)
煙草のお釣り銭が合わないことも不思議と無かった。

もちろん、店先の路面におんじゃくで落書きしたり、
河川敷でままごと、駄菓子屋行きが本職のフツーの子供だったのだけど。。。

隣街の芸者置屋のおかみさん、繁華街で働くお水のお姉さん達はお得意さん。
店先でよく可愛がっていただいた。
迷子になれば、「ヨゴレのおにいさん」が「煙草屋の看板お嬢ちゃん」の手を引いて送り届けてくれた。
ふるきよき時代のお話。
当時、物騒な事件がなかった訳ではないし「人さらい」もいた。
でも、少なくとも私が育った九州のとある田舎町は、人々の善意でまわっていたように思う。

世の中は変わったというけれど、
また、幼児に店番をさせたり、街の一人歩きなどさせはしないけれど、
一体誰が、変わったのだろう?

48歳、あなろぐオバチャンは永遠の小学5年生。
多少の知識や経験が増えた分、ひねくれもしている。
だが、大して変わったようには思わないし、「変な世の中」に合わせる必要はない。
だから、案外誰も変わってはいないのだと信じ続けたい。

歳を重ねて一番ありがたいのは、旧いお付き合いが増えたこと。
案外誰も変わってはいない。
白髪でしわくちゃになったとしても、セーラー服の面影は忘れない(笑)




実家の隣は現在マンション建築中。
実家も老夫婦が暮らすだけの小さな住居となる。
だが、老いた両親はこれからも小さな煙草屋は営み続ける。
耳も記憶も頼りない、足腰の弱った年寄り達が、
三歳の幼児に降り注いでくれたのと同じ善意に包まれ、暮らし続けることを祈るのみ。