あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

「靖国」と「お地蔵さま」

 「靖国」に関する記事にお寄せいただいたコメントで、私は益々自分の無知を自覚すると同時に、巷の大騒ぎの原因が少しだけ理解できるようになりました。
 ただそれで、「靖国」を知らない私を含めた一般大衆のとまどいが解決できるものではありません。

 昔幼かった頃、亡くなった祖父と散歩に出かけ、お地蔵様の前では手を合わせていました。
 幼いながら、恐らく、人のあずかり知らないものに対する「畏れ」をいだき、無心に手を合わせていたのではないでしょうか。祖父は「お地蔵様は子供の神様」とだけ説いてくれていましたから。

 私は、地理的に遠い「靖国」を私は訪ねたことがありません。もし機会あって訪ねていたとして、恐らく、戦没者の方々が祀られているのであれば安らかにあれと、国の平和だけを願い手を合わせていたことと思います。先々お参りする機会があっても、この気持ちは変わらないと思います。

 特別に宗教を持たない多くの日本人にとって、手を合わせ祈るという行為は、神などに対する崇拝といった外に向けた行為ではなく、内面的なものであるように思います。また、全ての人を等しく救うという仏教の教えも心の片隅にあり、それこそ生前の罪で差別することは理不尽という意識があるように思います。戦争は大きな罪であり、本来参加した国民全員が罪人である筈なのに、裁いたのは政治です。それも今となっては遠い過去の話です。今それについて語ることは、あまり意味があるようには思えません。ただ、日本人の文化は大切にしたい、祈る自由は守られてしかるべきと考えてます。

 本来、公人の参拝は日中問題の外側で議論されるべきことです。今ここで無理に整理をすれば、不満だけがくすぶるように思います。

 事実は事実として、やはり感情を持つ人の世であり、まだまだお互いの理解のための努力が必要と思います。その上で、やはり、お互いの文化は尊重すべきと、考えてます。