あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

JRは労使の関係改善を

 JR福知山線の事故については、短い間にJRの体質等に関する様々な専門家の意見がメディアで報道されました。
 当事者であるJRの最初の発表は、事故発生から約3時間足らず後であったかと記憶していますが、その中で、直前駅でのオーバーランに加え、お亡くなりになった運転手の処分歴が、「うつろな目」という乗客の指摘がそのまま使用され、結構詳しく報道されていました。(そもそも、この指摘については、健康管理に活かされるならともかく、処分の原因となったというのが、私には理解できません。)
 最近になって、このJRの第1報を思い出すと寒々とした気持ちになるのです。

 今の鉄道の安全管理基準が、運転手のスピード超過という要因だけであれば、装置による物理的な事故回避機能が働いていた可能性が高かったという指摘があります。当然これを知る専門集団であるJRが、十分な状況把握や検証も済まない中、まず「ひとりの運転手が、しでかすべくしてしでかした」という印象を、私のようなものにまで与えるような報道発表をした事に、情けなさを感じております。
 通常であれば「処分歴が実名報道」されることはあり得ないことです。また、今回の悲惨な事故が通常では無い出来事であるものの、オーバーランの距離を検証もせず40mを8mと報道した軽率さとは比較にならない、組織の冷酷さを感じるのです。
 組織にとって都合の悪い部分をとっとと切り捨ててしまう。それが運転手という社員であってもしかりというのが、JRの体質なのだと思い知らされた次第です。
 本来、素質のある人を採用し教育を行い、一人前に育て、正しい管理を行っているのであれば、一人たりとも、切り捨てて良い社員などいる筈がありません。
 社員の誇りを、いとも簡単に台無しにされたことが残念でなりません。
 邪魔者は切り捨てるという環境で働く方は、組織や上司に対して萎縮し、少なくとも労使の信頼関係が培われることは無いように思います。ましてや、働く人が職場を愛することなどあり得ません。(乗り合わせた社員が救出活動に参加しなかったり、事故日のボーリング大会開催には、安全意識の欠如よりむしろ、組織への帰属意識が希薄で愛着がなかったことが原因のように思います。)
 もし、正常な労使関係が培われていたならば、今回オーバーランの後も、運転手はきっと素質と能力を発揮され、列車は事故現場も安全に通過していたと、私には思えるのです。

 最近、行政のお得意な手法は「数値データによる評価」です。
 膨大な評価基準等を効率的に処理する場合、自ずと数値データに頼りがちになります。たとえば、今回は新型制御装置の設置個数やダイヤの過密化等、数値データは速やかに報道されました。しかし、安全を守るのは最終的には人間のお仕事なのです。仕業点検もさることながら、朝の体調確認等、働く者同士のコミュニケーションの大切さを忘れてはならないと思うのです。「数値データ」が先行すると、人間に対する配慮が希薄になりがちなことに意識を傾ける必要があります。

 また、処分者に対し、罰を与えるのではなく、足りなかった職業能力を与え人を育てるのが、職場における教育のあるべき姿です。 今回の事故を機に、JRにおいては様々な改善が検討され社会に対し信頼回復に努められることと思います。併せて、労使の信頼関係を取り戻し「いい仕事」ができる環境作りにも配慮され、労使関係の再構築が行われますことを思ってやみません。 そして、神話を築いた鉄道マンの誇りを取り戻していただきたいと思うのです。
 それは、私たち一般市民の日本人としての誇りにもつながるものなのです。
 私は、今でも鉄道を最も安全な交通手段と信じ、これからも利用させていただきます。
 
 あらためて、亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。