あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

「刃物沙汰」の真相

金平糖君の高校時代の話しである。
思い出せば不愉快な話しで、封印したいと思ったものの、
彼の名誉のために、不出来な母の精一杯の気持ちとして、ここに残しておきたい。

どこにも口さがない人は居るもので、
「ぐれた息子が刃物沙汰で大けがをし、これが原因で母は心を病んだ」などと言う、
つまらない噂話の真相である。
読まれた方は、笑って、そして忘れていただければ幸いである。

私大に附属する学校は、社会的評価を異常なまでに重んじる当時の校長の方針で、規律に厳しかった。
その中で、校則違反をおかした息子の友人は頭を丸刈りにされた。←本来は許されない体罰
親しいが故に教室に帰った友人を見て、息子ははやしたてた、「わぁ、ハゲ!」
お洒落をしたい時期の高校3年生、髪の毛を刈られた友人はショックを受け平常心ではなかった。
たまたまカバンにいれていたカッターナイフで息子は腕に傷を負った。
(当然私どもの学校時代と違い、本来刃物を学校に持ち込むことは許されていなかった。)

職場で突然の連絡に、一瞬気が遠くなった。
取るものも取り敢えず学校の近くの整形外科にタクシーで向かった。
「動脈が切れているかも知れないので、大きい病院に。」←明らかな誤診、後となれば笑い話。
用意された救急車に同乗した。

明らかな傷害事件だが、息子にも非があり、できれば穏便にことを済ませたかった。
対面だけを気にする学校に対し、相手の子供さんの処分を軽く済ますことを条件に、
学校側の責を問わないことを申し出た。
加害生徒は即刻退学となるところ、静かに他所の町の高校に転校をしていった。
向こうのお母様とは電話でのみやり取りをし、治療費のみを口座に振り込んでいただいた。

全治には数ヶ月を要したが、これで全てが終わる筈だった。

しかし、傷がようやく癒え、警察への被害届も手遅れになる頃、
卒業を控えた真冬に、息子への処分が言い渡された。
毎日早朝登校をし、便所掃除を続けるというものだった。

期限はなかった。
息子は何も言わず続けた。

当時、私は既に、とても疲れていた。
知人である地元紙の記者に相談をしようか、それとも警察、教育委員会。。。
本来ならば、何としても息子を助けたかった。
しかし私は結局、不甲斐ない無力な母親でしかなかった。
このことを、今でも息子に申し訳ないと思っている。

卒業を控えたある日、いつまで続ければよいのか息子は思い切って先生に尋ねた。
程なく「罰」は終了した。
どうも、先生は息子に罰を与えたことを失念されていた節がある。

卒業後、当時PTAの役員であった私には、後援会の集まりの往復葉書をいただく。
返信で何度か、今後の御案内は遠慮願いたい旨を伝えたが、今年も届いた。
あの学校と今もこのような形で縁があることは、非常に不愉快である。
あの学校法人とは2度と関わりたくない。
だが年に一度、この葉書は事件のことを思い出させずにはおかない。
唯一の救いは、事件前にそこの大学に進まないことを決めていた息子の正しい進路選択であった。

息子は、「オレ、もしビッグになって取材を受けたら、母校はナイって言うんだ。」と笑って言う。
「ぐれた息子」は、音楽とゲームが好きな、捨て猫を見捨てられないただの優しい青年だ。
暢気で明るいやつだが、青春時代の傷は他人には言い尽くせない。
横一文字に今も残る腕の傷は、息子と私そして家族の深い深い心の傷だ。

本来ならば一生の財産になる筈の、光り輝く高校時代の思い出。
「わぁ、ハゲ!」の一言は、一瞬にしてそれを台無しにした。
厳しい母としても、「いい薬」はとうに通り越していたように思う。

「刃物沙汰」のこれが一部始終である。



* 無事ではなかったものの、何とか高校は卒業した。
 「取り敢えず大学に進み、好きな音楽をやりたい。」
 学力が身に付いた形跡は無いが、「資格」を高校の目的とすれば彼には十分。
 目先の目標を、取り敢えず叶えることができたことを良しとするのみ。
 びっくり箱のような坊ちゃん、金平糖君にしては上出来なのかなぁ・・・?
             ようやく笑える、親バカ脳天気のオバチャンでした。。。