学校は治外法権ではありませんっ!
1月の事件を、Webで振り返っていました。
今更ながらなのですが、ひと言、ここに書いておきます。
学校は治外法権ではありません。
”体罰”や”いじめ”の記事を目にする度に思うことです。
”体罰”や”いじめ”という言葉に、教育現場が甘える限り、問題の解決は困難と考えます。
”暴行”、”恐喝”、”窃盗”、”傷害”、およびそれらの”教唆”etc.
事件の重さを自覚するに足る、本来の行為を表した、正しい日本語を使うべきです!
学校に限ったことでもありませんが、管理者が、事件発生の責任を問われることを回避しようとする因習が、問題の直視を困難にしています。
事なかれ主義の管理職が醸成してきた、教育界の隠蔽土壌。
そして、それを容認してきた社会。
深刻な行為を、”体罰”や”いじめ”という学校では特有の言い回しを用いて、オブラートにくるむ、社会もまた、それをゆるしてしまいました。
今流行の、”ならぬことはならぬ!”デス!!
犯罪は犯罪として、きちんと罪を問うべきです。
繰り返します。
学校は、治外法権ではありません。
教師や学校管理者、マスコミ、そして社会は、大きな勘違いをしているのではないでしょうか。
当たり前のことを、まずは粛々とやることです。
その上で、過ちを犯した者にしかるべき教育を行う学校、また再出発を温かく見守る社会であらねばなりません。
学校が常識を取り戻すため、まずは”体罰”や”いじめ”という、学校特有の言葉を捨てることから始めてはいかがでしょうか。
※ 息子は高校時代、同級生のカッターナイフで負傷しました。
そもそもの原因は、担任教師の、同級生への体罰にありました。
この、2件の傷害事件を、学校現場は、いじめ、体罰で処理しました。
状況は今も変わっていないです。
被害者の母として、当時を思い起こし、書かずにはいられませんでした。