あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

宗教を超えて

 -娘のお誕生日によせて-

 あなたの父も母も気むずかしい父のもとに育ったものの、特定の宗教を信仰しない家に育ち、比較的自由な大人になりました。
 親となった時、あなたの父はやはり「無宗教」として、特定の宗教を信仰しないという選択をしていました。
 でも母は、子育てに行き詰まり、親としての自信を無くした時、もし信仰があったらと思ったことが度々ありました。
 しかし、最近これでよかったと思うことが多くなりました。

 母が退院した日はイラク戦争が始まった日ですが、あの時ブッシュ大統領が戦争の大儀を語るために借りた神はキリスト様です。中東の争いも宗教の対立に根を発するものです。また、過去の日本の過ちは神道の殻の下で犯されたことでした。
 本来、それぞれの宗教そのものは主張の違いはあっても、信じる人にとってはどれも「良き教え」です。ただ、周囲にある余計なものは時として、宗教を利用し、信仰を違った方向に導いてしまうことがあるように思います。結局は、真の教えを見抜くという、信仰者の叡智が必要だと母は思います。また大方の人の、本来の信仰の目的が「明るくいい人生を送る」ことにあると思うのですが、宗教は人を救うばかりでなく、時には苦しみを与えることも多いようです。大方の人は、信じても救われないという気持ちを度々抱いているように思います。特定の宗教を信仰するということは、本当は大変なことなのだと思うのです。苦しさからいっとき逃れるために染まるべきものではありません。

 結局母はあなたの足下を照らす希望を、信仰という形では与えることができません。 ただ、それでも母は今、けっこう幸せで、その秘訣をあなたに伝えられたらと、あなたのお誕生日の今日、思いたったのです。
 それは、大げさに諭す程のことでもないのですが、ふたつあります。
 ひとつは、自分自身をも含めた、世の全てのことの存在を認め感謝することです。
 そしてもうひとつは、人知を超えた力に対する「畏れ」を知ると言うことです。

 「苦手」や「嫌い」は色々あるけれど、その原因をプラスのイメージに置き換えて語る作業は結構素敵です。「嫌い」が「好き」にならないまでも、気持ちが少し楽になります。
 また、母はあなたも知っている大変な経験をして、「水」「塩」「お米のご飯」が究極の必要な物と気づいたことを話したことがありますね。お日様をはじめとした自然の恵みとともに、見知らぬどなたかの働きによって、今の命が生かされていることをとてもありがたく、素晴らしいことだと思います。
 そんなことに思いを巡らせていると、生きることが素敵に思えて、その時々の辛さも案外平気になります。 母はこれからも特定の宗教を信仰することなく、老いを迎えると思うのですが、このような思いに救われている幸せな人です。
 母には宗教はありませんが、手を合わせ祈ることがよくあります。うまく言い尽くせませんが、これは、宗教を超えたところにある、人の自然な行いであるように思うのです。 

 いつかこんな話しを、あなたと語り合えたらと思います。

 21歳のお誕生日、おめでとう。