あなろぐばあちゃんのつぶやき

Yahooブログ育ち、4人の孫のおばあちゃんです。

道徳の時間

とってもおかしな道徳教育の専門家がいたり、
まともな読み書きができない教師に我が子をまかせる不安があったり、
大人になって見渡せば、教育の現場ははなはだアヤシイ。
余計なことはして欲しくない気持ちも理解できる。

一方、教育が心に立ち入るのはいけないと言う。
だが、「豊かな心」は「育む」というかけ声で育つものではない。
心の時代と言われる中にあって、教育は心をないがしろにしてはいないだろうか。

教育は知識の詰め込みだけで成り立つものではない。
心に響き、思い知らされる感動が、昔の道徳の授業にはあったように思う。
人のやさしさや温もり、愛を知ることは、心への働きかけだった。
子供達の心の闇はあってしかるべき。
闇を健やかな、暁の時を待つ闇として、子供達を信じた昔の社会。
それは、「教育」の自信と、それに対する信頼でもあったように感じている。

私達は、国を愛するのにためらわなければならない国に生きる大人となってしまった。
でも、嘆くだけでは、何も変わらない。
日本人の美徳を尊び、この国を愛するひとりのオバチャンとしては、
幼かった私を育んでくれた心へのかかわり、「教育」では許されないと言うのなら、
社会の中でかかわりを見つけ、子供達に伝えていく。
それが大人の使命だと思う。

おせっかいなオバチャンはやめられない。



*「子供の日」にのせる予定だった記事。
  遅ればせながら、アップ。
  鯉のぼりの泳がない日も、子供達は社会の希望です。